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画像ファイル 猫の系譜

野良猫の子供
夕飯の時母が「野良猫が物置の隅で子供を産んだ様なの。」と言った。
当時母は74歳位であった。
私は黙って聞いていたが内心弱ったことになったと思った。
我が家の近くでは最近急に野良猫が増えて、食べ物を取られる等の被害が出ていた。
次の土曜日私は母が言っていた小屋の隅を覗いてみた。
我が家の東側の物置小屋と隣の家の境に30cm位の空間が有り、長い洞穴の様になっており、
猫はその中に居ると言う。
しばらく私は子猫が居ると言う、その隅の暗がりを覗いていたが何もみえなかった。
そして「何も居ないじゃないの」と言ってその場を離れた。
事実小屋の隅は薄暗くてはっきりとは見えないのだが、生き物など何も居ないように思われた。
しかしである、私が小屋から少し離れてその隅の入り口を見ると、小さな子猫らしいものが ちょろちょろと穴の中から出たり入ったりしているではないか。
「あれー!」と私は言って、再び小屋に戻ってその隅の中を覗いてみた。
しかしいくら目を凝らして見ても猫らしいものは全く見えなかった。
「おかしいな」と言って、私は近くに有った竹の棒で隅の真ん中辺りを突っついて見たけれど
子猫らしいものは出てこなかった。

屋根裏に猫が
次の日の夕飯の時母が「猫はどこかに引っ越したらしい。」と言った。
どうも私が竹の棒で突っついたりした事が気に入らなかったらしく、親猫が子猫を連れて引っ越したのである。
これでひとまず安心かなと私は思った。
それから数日して私が会社から帰って風呂に入っていると、風呂の出窓の上の方で何やらごそごそ音がする。
鼠かなと思ったが、鼠にしては音が重い。
何だろうと思っているうちに「猫だ!」と、はたと思いついた。
私はあわてて風呂から出ると、懐中電灯を片手に梯子を立ててそれに乗って風呂の出窓の上を覗いてみた。
風呂の出窓の上は箪笥の引き出しを2つ縦に並べた様になっていて、片方に猫が入れる位の穴が開いていた。
良くこんな所を見つけてものである。早速懐中電灯で照らしてその中を覗いてみた。
あいにく懐中電灯の電池が無くなりかけており、全体を明るく照らし出さない。
しばらくしてほの暗い光に目が慣れると穴の中が薄ぼんやりと見えてきた、しかし猫らしきものは見えない。
「おかしいな」と思いながらそれでも今にも消えそうな懐中電灯で更に穴の中を照らすと、一番奥の下の方に、
小さく光る目が幾つか在って、こちらを看ているではないか。
「あ!居た。」と叫んで私は懐中電灯を手の平でとんとん叩きながら穴の中を照らした。
こうすると一時的に懐中電灯は明るくなる。
懐中電灯で照らされた光る目は確かにこちらを視ているのだが、どうした訳か微動だにしない。
試しに出窓の屋根を子猫が居ると思われる辺りをトントンと下から突付いてみたが、やはり目は動かなかった。
その日は遅かったのでそれ以上は何もしなかった。

猫の引越し
次の日は休日であった、私が居間で朝食を取りながら、部屋を一つ隔てて風呂の出窓の辺りを見ていると、
驚いた事に親猫が子猫を口に咥えて、出窓の屋根からボイラーの上に飛び降りる所であった。
「ああー!」と言って私が見ていると、親猫は子猫を咥えたまま裏庭の方に消えていった。
しばらく驚いて呆然としている私の前に再び親猫が現れ、出窓の屋根の中に消えた、もちろん親猫は
私が見ている事など知らない。
しばらくするとその親猫は再び子猫を咥えて出窓の屋根から出てきた、そして前と同じ様に、
裏庭の方に消えていった。
その後私は再び親猫が現れる事を期待して同場所を見ていたが、親猫は現れ無かった。
どうも猫たちの引越しは完了したものと思われた。

その後しばらくは猫は現れ無かったと母は言う、しかし何日か経ったある日再び猫たちは一番初めの
小屋の隅に戻ってきたのである。
しかもその子猫たちに母は餌をやり始めたのである。
いたずらをされるより餌をやってしまった方が良いと言うのが母の理論であり、母は無類の猫好きである。
始めは警戒していた子猫たちも、母が置くおいしい餌の誘惑には勝てないと見えて、餌の周りに人が居ないと
小屋の隅から出てきて餌を食べた。
子猫は全部で3匹居た、三毛とトラと白黒の子猫であった。
この子猫たちの親はペルシャ猫で痩せてはいるがかなり立派な猫であ有った。
こんなかわいい猫なら必ず貰い手が付くはずで有るが、野良猫であることを思えば、やはりこの猫も
野良猫として生まれたものであろう。
この親猫は相当に警戒心が強く、ちょっとでも人の気配がすると、何処かに隠れてしまった。
この親に仕込まれたのか子猫たちも揃って警戒心が強く、人が近づくとたちまち気配を感じて、
小屋の隅に逃げ込んでしまった。
そんな日が何日か過ぎて、子猫たちも随分と大きくなってきた。

ノラと命名
親のペルシャ猫も「ノラ」と言う名前を母から授かった。
野良猫の野良と「人形の家」の主人公のノラをかけた名前で、野良猫には分不相応な名前である。
確か今は無き内田百關謳カにも「ノラや」と言エッセイがありこちらも野良猫のノラと「人形の家」
の主人公のノラをかけたものであったと記憶している。
ただし我が家のノラは卑しくもペルシャ猫の崩れである、百關謳カの日本猫とは違い、まさに
「人形の家」のノラの名前を継ぐにふさわしい猫で有ると思ったのだが。
このノラであるが、子猫たちが餌を夢中で食べている時我々が子猫の傍に行こうとすると、我々の
前の地面の上をごろごろと転がって注意を自分に引こうとした。
普段は絶対に人を近づけないノラもこの時は逃げようとしなかったのである、我々は猫の本能の
凄さに感心したものである。
その後ノラは何回か引越しをしたが最後のころは子猫が自分より大きくなり、その子猫を
咥えて出窓の屋根に上ろうとして子猫を落とした事も有った。

子猫の捕獲
さて子猫が大きくなるに従って我々の心配は大きくなった。
4匹もの猫を飼っておくわけにはいかない、それでは猫屋敷になってしまうではないか。
そこで私は一計を案じた、子猫を捕まえて何処か他の場所に移してしまおうと言う案である。
捨てるのではない、野良猫を捨てるなどと言う訳のわからぬ話は世の中には無いのである。
つまり我が家の周りは野良猫密度が高くなりすぎたので、どこかもっと密度の低い場所に
移そうと言うのである。
子猫を捕まえて保健所に差し出すなどと言うことは到底我々には出来なかった。
この案の問題点はいかにして子猫を捕まえるかである。
勿論このすばしこい動物を追いかけて捕まえる事などは出来ない相談である。
そこは持って生まれた技術者魂が頭をもたげる、私は少しの間に猫捕獲機なる物の図面を書きあげた。
まずダンボールを使う、ダンボールだと少しくらい子猫がぶつかっても怪我をすることは無い。
段ボール箱の一方にスライド式の扉を付けてゴムで閉じる方向に引っ張っておく。
その扉に割り箸を差し込んで閉まらないように止める。
この割り箸に紐を付けて、遠くから引っ張ってはずすと、扉がストンと閉まることになる。
細工は隆々である。
出来上がった仕掛けはなかなかのものであった。
早速餌を入れて子猫が入るのを待つ。
子猫たちは始め少し勝手が違うと思ったのか、警戒してなかなか箱の中には入らなかったが、
そのうちに食欲に負けて段々と中まで入るようになり、最後はすっかり安心してダンボールの中に
入って餌を食べていた、そこで私は「エアイヤー」と紐を引っ張った。
少しドタンバタンと言う音がしたが、子猫たちは無事に段ボール箱の中に納まっていた。
実は子猫の引越しをさせる前に、私たち家族はもし子猫の中に雄猫がいたら一匹だけは
残しておこうと言う話をしていた。
全部の子猫を何処かに連れて行ってしまったらノラがかわいそうだというのがその理由であった。
ダンボールを前にして私は少し迷っていた、確かに猫は3匹いたはずである。
本当に3匹居るか否か調べてみようと思ったのである。
私は入り口の戸をそっと開けて見たのである、途端に子猫が一匹飛び出してしまった、
それは白黒の猫であった。
幸いなことに後に残った子猫は2匹とも雌であった。

子猫のリリース
私と女房は子猫の入った段ボール箱を車に乗せ、私の家から少し離れた果樹園の中で車を止めた。
その場所は農家が点在しており、農作業の小屋などが有って子猫でも餌に有り付けそう思われた。
車からダンボールを降ろして子猫を出すと、子猫は元気良く駆けて行ってすぐに見えなくなった。
子猫はもう十分大きくなっている、きっとこれから自分で餌を探して生きていけるだろう。
既に薄暗くなった果樹園の中の道で、子猫が走り去った方角を見ながら、女房は泣いていた。
生きとし生けるものには必ず別れが来る、それは唯でさえ寂しい晩夏の夕暮れであった。

ノラの死
捕獲してから直ぐに逃げ出してしまった白黒の猫は雄であった。
私達家族は相談してこの白黒の猫とノラを飼うことに決めた。
更にまた子供を産んではたまらないので、ノラに避妊手術を施すことにしたのである。
やがてノラも布の袋に入れられて獣医の所に連れて行かれ、無事に避妊手術を受けたのである。
白と黒の猫はその見た目の通りパンダと呼ぶことにした。
こうしてノラとパンダとの平和な日々がくる筈であった。
しかしなぜなのかは判らないが、避妊手術の3ヶ月後に突然ノラが死んでしまったのである。

奇妙な猫 パンダ
後に残ったパンダは奇妙な猫であった。
パンだの胸の辺りを触ると皮膚の下の辺で、骨がかなり飛び出していた。
おそらく子供のときに骨折してそのまま骨が固まったのだ。
引越しをしようとして親のノラが落としたのはこの猫だったのかも知れない。
パンダの顔で有るが、白黒の斑点が誠に変な場所に有り、顔に安定感が無く怖い顔に見えた。
更にパンダは極めて臆病な猫であった、私が少しでも近づこうとしたものなら直ぐに何処かに逃げてしまった。

ヒマラヤン ポロ
パンダが余りにも人に慣れない為、家族で相談して新しい猫を貰う事にした。
そもそも猫は愛玩用の動物である、餌をやっても全くなつかず、子供たちが側によっても
直ぐ逃げてしまうような猫では飼っていると言っても余り意味が無かった。
それでも母はネズミを飼うよりはましだと言って餌をやっていたのだが。
猫をもらいたい場合は我々の地方では大抵の場合地方紙の最後に有る「あげます」の
コーナーを見る。
春先になると多い場合は3〜4件の猫をあげますの記事が出る。
その中で我が家に近い住所を探して、そのお宅に子猫を貰いに行った。
そのお宅には3匹位の子猫がいて先客が有り真っ黒な猫は既にその人が貰うことに決まっていた。
その先客は、既に自宅に猫が居るのだが黒い猫が欲しいと言ってその子猫を貰っていった。
後に残った子猫は黄色い縞のトラ猫と、毛並みが灰色でぼろきれの様なシャムネコであった。
どう見てもトラの方が可愛かったが、私は珍しいのでそのぼろきれの様な猫を貰う事にした。
子猫を貰うときはお礼に猫の好きな魚の缶詰などを持っていくのが慣わしである。
我々も、「貰って頂けるだけで本当に助かります。」と言う親猫の飼い主に、缶詰などを
差し上げて大事に子猫を抱いて帰って来た。
私はこの猫に「ボロ」という名前をつけたかったが、それでは余りにもかわいそうだと言うことで、
家族会議の末「ポロ」と命名した。
後にこの猫はヒマラヤンと言う種類で有ることがわかった。
この猫は少し大きくなると段々と可愛くなって行った。
特に青く光る大きな目と、黒い顔全体の毛並みが神秘的な雰囲気を出していた。
この猫は気位の高い猫であったように思われる。
勿論抱き上げたりなぜたりすると喜ぶので有るが、自分から人に擦り寄って来るようなことは
余り無かったような気がするが、あるいは私の思い違いかもしれない。
女房によるとポロは私が会社に行く時は、必ず戸口の所に座って私を見送ってから、ぴゅーんと何処かに
遊びに行ってしまうと言うことであった。
ポロは段々と可愛さを増して来たが、貰ってきて半年位した時に原因不明で突然死んでしまった。

日本猫 ねろ
ポロが死んで寂しくなった。
相変わらずパンダは餌は食べに来るが、我々には全くなつかなかった。
そこで我々は再び新しい猫を貰う事にした。
「洋猫は駄目だな、直ぐ死んでしまうから、純日本猫が良いな。」と私は思っていた。
前にも書いたが、猫が欲しいときは地方新聞の最後のページを見る。
春先ともなれば何件かの「子猫上げます」と言う記事が出て、まず期待を裏切られる事は無い。
早速我々はその記事の中で我が家に最も近い家を選んで電話連絡をした上で訪問した。

実は私は子猫を貰いに行く前に子猫の住む所を準備しておいた。
季節が春先でぽかぽかと暖かかった為に、外に有る下駄箱の上にダンボールを置いてその中に、 毛布などを入れ、猫が快適に過ごせる様にした。
外とは言っても、屋根が有り家の角の相当奥まった場所なので、風などは全く当たらないし、
他の猫に追われても逃げ込み易い場所であった。
更に子猫が下駄箱の上に上がり易い様に下駄箱の所々に板を出しておいた。

子猫を貰いに訪問した家は、私の家から3km程離れた新興住宅地の中にあった。
飼い主の若い奥さんは子猫を3匹程抱いて出て来て「気に入るかしら」といって見せてくれた。
その家では玄関を入ると直ぐ右側に調度人間の背丈くらいの下駄箱が有り、猫はその下駄箱の上を
住処にしていた。
見せてもらった3匹の猫は皆灰色の毛の中に黒い縞が有る「トラ」で、我々には殆ど同じ様に見えた。
それでも我々はその中でもかわいらしそうな子猫を選んで、例によってお礼の缶詰を差し上げた。

家に帰ってこの子猫を下駄箱の前に置くと、なんと子猫は何も教えなくてもトントンと私の作った
階段を上り、下駄箱の上のダンボールの中に入って丸くなった。
私はこの猫にねろという名前をつけた、元気な子猫で夜中まで騒いでいてなかなか寝なかったからである。

パンダとねろの対面
私は1つ心配していたことが有った、それはパンダとこのねろの対面である。
パンダがねろを外敵だと思い攻撃を仕掛けるかもしれないからである。
パンダはねろの3倍近く有るので、パンダに攻撃されたら子猫のねろはいちころである。
思案したあげく私はねろを抱いて行ってパンだの傍に放した、様子を見る為である。
するとパンダは最初低いうねり声を上げたが、次の瞬間思いもかけない行動を取ったのだ。
なんとこの猫はいつもなら私が近づいただけで逃げてしまうのだけれど、この時は、
私の足元でごろごろと転がったのである。
そうあのノラが私たちが子猫に近づこうとした時に取った行動と同じ行動を取ったのである。
ノラは雌猫で子猫は自分の子供であった、パンダは雄猫でしかも子猫は今対面したばかりの
見ず知らずの子猫である。
その子猫を守るために自分に我々の気を引き付けているのである。
猫にこの様な習性が有ることを私も初めて知ったのである。
私は足元でごろごろ転がっているパンダを抱き上げた、多分この時がパンダを抱いた最初であった。
実はパンダは顔とは反対に優しい猫であった、これは追々解ることになる。
私に抱き上げられたパンダはおとなしく後ろ足をだらりと下げたままにしていた。
今までパンダが私に抱かれると言うようなことは無かったがパンダはねろをかばおうとしているのである。
私は今度はパンダを抱いている反対の手でねろを抱き上げこの2匹の猫をぴったりとくっ付けた。
これでパンダとねろとの対面は終わった、もうパンダがねろをいじめる心配は無かった。

親子の様に
しばらくするとねろはパンダを親の様に慕い始めた。
パンダが顔を見せるとねろは喜んで側に寄っていって、パンだの尻尾にじゃれ付いたり、
パンダが寝ていると背中に乗ったりしていた。
パンダもそれを当然のことの様に、時々じゃらす様にねろに手を出したりしていた。
餌もパンダとねろと別々にやってもねろはパンだの食べている所に行って一緒に食べようとした。
パンダもそれを嫌がりもせずに、しばらく自分は食べるのを止めて、見ていてそれから別の餌の方に 行って食べ始めた。

離別
3ヶ月位経つとねろも段々と大きくなって普通の猫の半分程の大きさになった。
ねろはパンダが来ると大喜びでじゃれ付くのだがそれは、傍から見ていてもそれはかなり
うっとしいものであった。
私が見ていてうっとおしいのであるから、当のパンダにとってはかなりうっとうしいに違いない。
始めのうちはパンダはガブガブとねろに噛み付く様なしぐさをしてねろを脅すのだが、一向にねろには
効き目が無い。
仕方なくパンダは逃げるように何処かに行ってしまう、そんなことが続いた。
しばらくするとパンダは殆ど姿を現さなくなった。
「パンダは何処かで死んでしまったのではないか」と母は言った、母はパンダが可愛いので有る。
本当にもう死んでしまったと思うと、2週間位してパンダがふらりと現れた。
母は喜んでパンダに沢山の餌を与えた。
しかしその餌を食べてしまうと又何処かに行ってしまう。
今度こそ本当に死んでしまったかと思われたが、又1ヶ月位したら帰って来た。
しかし又今度も餌を食べてしまうと何処かに立ち去ろうとした。
私はそっとパンだの後を追うことにした。
パンダはゆっくり後ろを振り返りながら我が家を離れて行ったが、やがて1km位離れた農家の
庭先に入っていった。
それが私がパンダを見た最後であった。
パンダは出て行ってしまったのだ。
野良猫の家出などという話は聞いたことが無いが、パンダがねろに遠慮して出て行ったのである。
ねろはれっきとした家猫である、パンダは野良猫、よく分をわきまえた猫だと我々家族はパンダを
褒めたものである。
その後何ヶ月かして車を運転中の女房が、パンダが消えた方角の民家の家の縁側で日向ぼっこを
しているパンダらしい猫を見たと言うことである。
パンダは優しい猫だからきっと何処かで飼われていると母は言うのである。

いたずら猫ねろ
ねろは誠に活発な猫であった。
家の中ではおとなしいので有るが、一旦外に出るとハンターに変身する、ネズミはむろんのこと
動く動物は人間と犬以外は何でも飛びついた。
鳥などが居るといくら寒くてもじっと狙っていて動かない、鳥に方が油断すると飛び掛って捕獲してしまうのである。
よその猫と喧嘩も良くした、どう見ても自分より大きい猫に喧嘩を挑んで負けて帰ってきた。
体は傷だらけである。
足などに傷が出来ると猫はせっかく瘡蓋(カサブタ)になって治りそうになると、瘡蓋を噛みとってしまう為に
なかなか治癒しなかった。
仕方無しに獣医に連れて行くと、自分の体を舐めら無い様に漏斗(漏斗)を逆さにした様な「エリザベスカラー」
と呼ばれるプラスチックを首に巻かれた。
ねろはそれを付けて何処かに遊びに行ってしまい、最後にはそのカラーの首に当たる部分の皮膚が摺れて、
そこも化膿してしまった。
その度に母は傷口に薬を塗ったり、時には包帯をしたりして忙しかったが、「もう二度と猫など飼わない」
と言いながら、自分の子供の様に面倒を見ていた。

ボス猫ねろ
始めの頃は小さくて弱かったねろで有るが、年を取るとだんだん貫禄が出てきて喧嘩も強くなった。
5年も経つともう近所ではボス猫である。
顔の大きさといい、体の太り具合と言いどこから見ても貫禄は十分である。
我が家の庭先に間違って痩せた野良猫などが迷い込もうものならねろは直ぐ出て行って、追いかけ
野良猫を柿木の上に追い上げてしまう。
そして自分は柿木の下で悠然と座って足などを舐めているのである。
木の上に追い上げられた猫もいい迷惑で有る、木から下りたいのであるが下には怖い猫が待ち構えている、
何とかねろの隙を見つけて下りようと上のほうから狙っているが、少しでも木の上で動こうものなら
下のねろがものすごいうなり声を上げて威嚇する。
こんなことを10分位続けていると、ねろの方が飽きてくる。
するとねろはわざと隙を見せて木から少し遠ざかろうとする気配を見せる、木の上の猫はここぞとばかり
木から下りようと身構え、少し態勢を変えてそろりと木から下りようとする、途端にねろが
うなり声を上げて木下に戻る。
ろくに餌など食べていない木の上の痩せた野良猫はもう傍から見ていても気の毒な位で、このまま ほって置くと木の上から転げ落ちるのではないかと思われる程で有った。
完全に弱いものいじめを楽しんでいるのである。
居間の縁側でこれを見ていた私は見ていられずに、箒を持ち出してねろを木下から追い払い
木の上の猫を下ろしてやった。
このように書くと何かねろが意地悪な猫に聞こえるが、家の中ではねろはごくおとなしい猫で、
お腹が空いても、テーブルの上の物を取る様なことはついぞ無かったし、我々が暇をもてあまして
ねろを撫ぜたりつついたり時には首を持って吊り下げても、大人しくしていた。
ただし時々外でネズミを取って家の中に持ち込むのには閉口した。
猫はネズミを取った手柄を飼い主に見せに来るのである。
我が家の近くに猫が好きで何匹も飼っている家が有る、これはそこの奥さんの話で有る。
ある時その中の一匹の猫が蛇を咥えて家の中に持ち込んだと言うことである。
蛇は既に猫にさんざん噛みつかれていたのか、切れた縄の様にぐったり状態で部屋の真ん中に
置かれても動かなかったが、猫はまだ蛇に少し逃げる力が残っていることを承知で、わざと
蛇から目をそらして、前足なぞを舐めている。
蛇が最後の力を振り絞って頭を上げて逃げようとした所すかさず猫が前足でパンチを食らわす。
まともにパンチを受けたヘビは再びぐったりとする。
猫は再び知らん顔で再び前足を舐め始める、蛇が少し頭をもたげる、猫がパンチを食らわせる、
蛇がのびるこの繰り返しでさんざん遊んだとの事であった。
猫には面白い習性が有るのだ。

猫エイズ
近所にねろのライバルのボス猫が2匹おり、ねろはこの猫たちと壮絶な縄張り争いをしていた。
田植えが済んだばかりの田んぼの真ん中で、ねろとこのボス猫が両方とも立ち上がって組み付き、
大きな声を上げて噛み付き合っている所を、我が家の隣人が見たとの事であった。
この後ねろは泥だらけで家に返って来て、これも又母がぶつぶつ言いながら綺麗にしてやった。

ある時いやな噂を聞いた、ねろのライバルの猫がエイズにかかったと言うのである。
エイズにかかったこの猫は年がら年中涎(よだれ)を垂らし、この涎が臭い為に、1週間に一度
獣医に連れて行って風呂に入れてもらうとの事であった。
更にこの猫はいくら餌をやっても直ぐに又欲しがり、何度でも餌を食べても直ぐに又
餌を欲しがって鳴くとのことで有る。
そしてこの猫はエイズにかかって一年位で死んだのである。

それからしばらくして、ねろが目から涙を出し始めて止まらなくなった。
目の炎症が治らないのである。
ねろもエイズにかかってしまったのだ。

始めは大したことは無かった涎(よだれ)も何ヶ月も経つと段々酷くなって来て5cm以上も有る
よだれを年がら年中垂らす様になってしまった。
更に悪いことにこのよだれが相当に臭いので有る。
こうなってはねろを家の中で飼って置くことは出来ない、家の外にダンボール箱で猫が
入れる猫の巣をつくり、寒いときはその中に電気あんかを入れてやった。
ねろも喜んでその中で寝ていたので有る。
それから毎日暖かい湿ったタオルで顔や体を拭いてやったり、巣の中の布などを洗ってやるのが、
母の日課となった。
ところがその母が一月の上旬に病気で2週間位の間入院してしまったのだ。
仕方なく今度は私が会社から帰ると、洗面器にお湯を入れて、タオルを浸してねろの顔と
体を拭いてやった。
始めのうちねろは少し嫌がって、少し爪を出した手を、私の服の袖口にそっと置くような しぐさをしたが、それ以上は何もしないで、我慢して拭かれるままになっていた。
一通り体を拭き終わると私はねろに約束の美味しい餌を与えた。

一年も経つとねろは段々と痩せて来た、相変わらずよだれは酷く、顔を拭いてやっても
30分も経つと臭くなった、相変わらず食欲は旺盛で餌を与えても直ぐに又餌をくれと
せがんだ。
私は朝会社に出かける時は必ず「ねろ」と呼んでから出かけた、ねろは呼ばれると時には
聞こえる程の声で「ニャー」と答えたが、大抵、朝は丸くなって寝ており、私が呼んでも
起き上がることは無く、口元だけを動かして返事をした。
相変わらず母はこまめにねろの面倒を見ていて、朝晩顔を暖かい湿ったタオルで拭いてやったりしていた。
しかしながらねろの容態は日増しに悪くなって、時には真直ぐ歩けなかったり、
餌を食べている最中にぐらっと体が揺れることも有った。
更に一日中餌を欲しがって与えるといくらでも食べた。
私たち家族は「ねろももう長くは無いな」などと話していたが、そうかと思うと突然少し
元気になって朝から何処かに遊びに行ってしまうこともあった。

別れ
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その朝私が会社に行こうとして外に出ると、
ねろが廊下の上がり口に置いて有る板の上に
きちんと座っていた。
私は少し驚いて女房に「ねろが座っているぞ、
今日は少し調子がいいのかな。」と言った。
女房も顔を出してねろを見て「本当だ」と言った。
こんなことは今まで無かった事で有る、
私が会社に出かける時間は結構朝早いので有るが、
ねろ明るくなり前から何処かに遊びに出かけてしまうか、
丸くなって寝ているかどちらかであった。
こうして座っているねろを見ると、まだねろが若い頃の
精悍な姿を思い出していた。
私がいつもの様に「ねろ」と呼ぶと、かすかに口元が
動いて返事をした事がわかった。
私は何か少し気になったが、そのまま会社に出かけた。
それが生きているねろ私が見た最後であった。
その晩私は会社から帰ってねろが死んだことを知った。
やせ細ったねろは薄い柄の付いたバスタオルの上に寝かされており白い布が掛けられていた。
ねろの頭の所には小さな花が飾られており、せんこうが炊かれてあった、母がそうしたのだ。
母の話だとねろは朝の10時位に少し苦しがってそのまま死んだとの事であった。
私が朝のことを思い出して女房に言うと、女房は「ねろは最後の挨拶をしたのよ。」と言った。
ねろは私に何か言いたかったのだろうか。
既にあたりは暗くなっていたが、我々夫婦は懐中電灯を頼りに、裏の畑の隅のプルーンの木の下に
30cm四方の穴を掘って、その中にねろと思い出を入れて土を掛けて埋めた。
ねろを埋めた後、晩秋の冷たい風が私たち夫婦の首筋を刷(は)いて行った。

もうあれから何ヶ月も経つのに私は朝会社に出かける時必ず以前ねろが寝ていた
場所を見る、ねろと声を掛ければ「ニャー」と言う声が聞こえそうな気がして。

その後母とはねろの話は殆どしない、ねろの話をすると母が悲しむからである。
「もう二度と猫など飼わない。」と母は言うのである。

私は夕食の時地方新聞の隅に「子猫あげます」の記事があれば必ずその記事を目で追う。
我が家の「猫の系譜」のねろの次にはどんな猫が来るのだろうかと思いながら。

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