はじめに

臥雲辰致
臥雲辰致[1](1842~1900)は明治初期にガラ紡機[2]と呼ばれる紡績機を発明した発明家で、姓の「臥雲」は住持であった寺臥雲山孤峰院の山号に由来する。
臥雲辰致が発明したガラ紡機は、西洋式紡績機とは全く異なった構造を持ち、機械を構成するほとんどの部品が木製である。水車を使った簡単な精米機等を除くと、ガラ紡機は日本で最初に作られた産業用の自動機[3]であり、紡績という複雑な工程に木を使った自動機があったことは誠に驚きに値する。
ガラ紡機は明治10年に東京上野で開催された第一回内国勧業博覧会に出展され最高の賞である鳳紋賞牌を受賞し、更に臥雲辰致に明治15年ガラ紡発明の功績により藍綬褒章を与えられた。
文部省編纂の『高等小学校修身教科書』、『日本修身書』、『実業修身教科書』をはじめ数々の伝記書やガラ紡に関する論文などに事績が掲載されるが、それらのもととなった資料の提示が少なく、歴史的な事実と想像が入り混じった状態である。筆者は現存する資料を基に、伝記書などの誤りを指摘するとともに、臥雲辰致の真実を解き明かし、この稀代まれなる大発明家臥雲辰致の偉業を顕彰する。

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[1]仏門に入る前の姓名は「横山栄弥」、僧侶時の名前は「智恵」である。多くの文献や書籍の中で、辰致僧侶時の名前を「智栄」としているがこれは誤記である。この誤記は明治14年に開催された第2回内国勧業博覧会の審査報告員の大森惟中が報告書の中で、「智栄」と誤記し、多くの伝記作家がこの誤記を継承してしまった為である。(この報告書は「辰致貧困伝説の謎」の章に全文掲載してあるので参照の事)
なお名前の「辰致」の読み方には「たっち」、「ときむね」などの異説があり研究者の間で熱い論争がある。読み方を「たっち」と主張する人たちは、辰致の親族や近所の人たちが「たっち」と呼んでいたことを論拠にし、「ときむね」を主張する人はガラ紡機が出展された第一回内国産業博覧会の公式カタログ(Official Catalogue of the National Exhibition of Japan 1877, Dept. 4, Exhibition Bureau,1877, pp. 5)にGAUN TOKIMUNEとあることを論拠に挙げる。しかしながら、親族や近所の人が「たっち」と呼んでいようがそれが正式な読み方とは断定できない。
また第一回内国産業博覧会の公式カタログにGAUN TOKIMUNEとの表記があったとしても、その読み方が臥雲辰致側から出されたものという確証はない。当時まだ名前のローマ字表記が一般的でなかったわけで、この博覧会への出品者16,147人が自ら名前をローマ字表記したとは思われず、公式カタログを作成した官吏が出品者の漢字を基にその姓名をローマ字に直したと思われる。
さらに昔から今に至るまで日本では、姓名に関する正式な呼び方の登録制度が無く、法律上で正しい姓名の呼び方は存在しない。したがって命名時に辰致本人がどのような読み方を意図したか記したものが見つからない以上、名前に関する呼び方の議論は無益である。
<追記>明治九年五月十九日の「信飛新聞」に辰致と支援者が、ガラ紡機と製布機を開産社内の水車場に設置したとの記事があり、この中で臥雲辰致を”フスモ タツチ”とルビを振っている。

[2]ガラ紡機は機械を動かすとガラガラ音がすることからその名がついたといわれる。玉川寛治氏は論文「がら紡精紡機の技術的評価」の中で次の注釈をつけている。『 がら紡精紡機による紡績法は臥雲紡 ・ガラガラ紡・ガラ紡・がら紡・和式紡 ・和紡 ・大和紡などと呼ばれたが, JIS-L繊維用語はがら紡を採っているのでこれに従った。本論では繊維用語のうち JISに規定されているものはそれによった。』 実際にWebに公開されている「日本工業規格 JIS L 繊維用語(糸部門)」の3.1一般の番号109に「がら紡糸(がらぼうし)がら紡機で紡績した糸。 throstleyarn,Garabo yarn」とある。このJISの名前の付け方の法則を見ると、外国の読み方を日本語にした場合はカタカナで表記するようである。ただしJISに表記された読み方が一般的な呼び方でない場合も多く、玉川寛治氏以外の研究者や伝記作家が一様に「ガラ紡」と記していることからここでは「ガラ紡」と記すことにする。

[3]ガラ紡の研究者によるガラ紡機の評価は、紡績機としての評価が殆どである。しかし筆者はガラ紡機を紡績機というカテゴリーではなく、その一つ上の産業用の自動機又は産業用の機械というカテゴリーで先ずは評価すべきであろうと考える。ガラ紡機は日本で最初に作られた、産業用(江戸時代の製造業は、問屋制家内工業であり、産業用機械という概念すら無かった)の自動機であり耐久性が必要な大型の自動機が殆ど木で作られていたことは驚きであり、その構造を発明した臥雲辰致の才能は大いに評価されるべきであると考える。

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[追記]
この考察は、
「技術と文明」
J-STAGEトップ/技術と文明/22 巻 (2019) 2 号/書誌
書評 ガラ紡を学ぶ会編著 『臥雲辰致・日本独創のガラ紡――その遺伝子を受け継ぐ――』
鈴木 淳(東京大学大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻日本史学講座教授)
上記書評の最後に、

なお,臥雲辰致の伝記的叙述としてはイン
ターネット上で公開されている武居利忠「臥
雲辰致―資料から読み解く臥雲辰致の真実」
(http : //tki.main.jp/gaun/)がかなり行き届い
た考証をしている。
と紹介されました。

© 2018 Toshitada Takei