1章 ガラ紡開発時期の謎

この章のまとめ
〇ガラ紡の開発時期には異説が存在するが、開発時期は明治4年である。
〇ガラ紡に関する書籍、論文の紹介。

1、全ての本が間違っているガラ紡の発明時期

 臥雲辰致の代表的な発明品は言うまでもなくガラ紡機であるが、ガラ紡の発明時期には異説が存在する。しかし驚いたことに、これらの説はことごとく間違いである。多くの書籍が、ガラ紡機発明の時期を明治6年としているが、実際の発明時期は明治4年である。
この間違いは、昭和24年発行の榊原金之助著「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」に明治6年との記載があり、その後の伝記作家がこの記述に従った為である。榊原金之助はガラ紡機の発明時期を臥雲辰致「自筆の履歴書」から引用したのであるが、この文書の解釈に誤りがあった。この内容に関しては『「自筆履歴書草稿」の謎』章に詳しく記述したので参照願いたい。
この章では臥雲辰致関係の伝記書をいくつか紹介しておく。

2、ガラ紡関連の論文・書籍

書籍による発明時期の違い
書籍名・論文名 発明時期 著者 種類 発行年月日
「日本ガラ紡史話」 明治5年、明治8年 中村 精 書籍 昭和17年4月30日
「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」 明治6年 榊原金之助 書籍 昭和24年4月5日
「臥雲辰致」 明治6年 村瀬正章 書籍 昭和40年2月20日
「がら紡精紡機の技術的評価」 明治9年 玉川寛治 論文 昭和61年7月25日
「臥雲辰致」 明治6年 宮下一男 書籍 平成5年6月
「臥雲辰致とガラ紡機」 明治6年 北野進 書籍 平成6年7月
「臥雲辰致・日本独創のガラ紡」 明治6年 ガラ紡を学ぶ会 書籍 平成29年8月
〇 中村 精 著 「日本ガラ紡史話」 

中村精(著)「日本ガラ紡史話」
 「日本ガラ紡史話」は昭和17年に初版が発行されている。この本は筆者が調べた限り、臥雲辰致及びガラ紡機に関する単行本では最も古いものであろう。しかしながらこの本は、題名が示す通り、ガラ紡の史話であり、臥雲辰致の伝記本ではない。したがってこの本は、主として、いかにしてガラ紡が発達したかを記述してあり、辰致の逸話などはそれほど多く書かれていない。特に辰致が最も活躍した明治9年から明治18年の松本開産内の綿糸工場に関しては全く記述が無い。ガラ紡の発明時期については、中村精は次のように記述している。
『…俗人に還った辰致の心のうちは、しばらく忘れていたこの発明心が、抑えることのできない力となって湧き上がって来た。そしてひとたびかうした力が盛り上がってくると、発明家の常として、もうあらゆることを忘れてこれに没頭しなければ止まなかった。子供の時と違って、それは真剣なものであった。十数年以前の古い機械を取り寄せて、来る日も来る日も、これが改良にかかりきりであった。そして、彼は躬を以て、日本の負かされた問題を解かうかとしているかの如くであった。(一部略)かくして、一年後に、やうやく一つの機械を完成して実験してみるまでになったが、その用法は簡単で、太絲を紡ぐには便利であった。明治八年、辰致は、当時まだ専売特許の制度はなかったが、官許を得てこれを発売した。しかしながら、この機械はまだ不完全で、殊に細絲を紡ぐには不適当であった。そこで再びかれはこれが改良を志し、ついに明治九年三月ようやくこれを完成することが出来た。
(中村精著「日本ガラ紡史話」 71P)』
すなわちガラ紡機(太糸用)を辰致が発明したのは還俗後1年後の明治5年ということになる。しかしながら同じ本の中の巻末の年譜には「明治8年 最初のガラ紡機発明、官許を得て発売(三四歳)」とある。残念なことに、中村精氏がどの資料を基にこの記述を行っているのかは一切記されていない。もっとも中村精はこの本の序で、『断るまでもなく、これは学術論文の体裁をもってかかれたものではない。』と記している。
〇 榊原金之助 著「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」
臥雲辰致翁伝記
榊原金之助(著)「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」

 後の研究者に大きな影響を与えた、榊原金之助著「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」(以後「臥雲辰致翁伝記」)の発行は昭和24年である。もともとこの本は非売品であり、発行者は「愛知県ガラ紡工業会」となっている。この本は「臥雲辰致翁伝記」と銘打っているが、本の後半の殆どは三河のガラ紡に関係した記事である。ガラ紡機発明の時期に関しては、次の記述がある。
    第四節 松本連綿社の操業と其史的意義
業祖(辰致)が明治六年に始めて完成した最初の紡機は既に述べた様に構造簡便にして粗絲を製するに便なるものであり、在来の手紡車に比すれば、全く画期的な新発明であった。辰致は明治八年官に請願して紡績機の専売特許を求めたが、当時未だ特許の法備はざるの故を以て、単に公売を許されたに止まったので、遠近の模造乱売を防止する由なく発明の利得に浴することが出来なかった。
(榊原金之助著「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」 4P)
上記のように、榊原金之助はガラ紡機の発明時期を明治6年と記している。その論拠は、榊原が辰致の資料として最も信頼を寄せ臥雲家に所蔵されていた「臥雲辰致自筆の履歴書草稿」である。以下「臥雲辰致翁伝記」よりの引用である。
『…これより先、官褒章授与の詮議に際し、辰致に対し、履歴書の提出を命じた。現時臥雲家に所蔵する文章はその際業粗の自筆草稿と推定されるものである。内容は従来屡次引用したが、今茲に其の全文を載せて、参考に資しておく。
(榊原金之助著「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」 23P)』
〇 玉川寛治 論文「がら紡精紡機の技術的評価」
 玉川寛治氏は産業考古学会理事・編集部会長、日本産業技術史学会会員の肩書を持つガラ紡機の研究者である。この玉川寛治氏が榊原が全幅の信頼をよせる「臥雲辰致自筆の履歴書原稿」の信憑性に関して疑問を呈したのである。
これまで臥雲自筆といわれてきた岡崎市郷土館所蔵の「履歴書」 (1882年付〉には辰蔵と書かれている。
(玉川寛治 論文 「がら紡精紡機の技術的評価」1P注書き)
玉川寛治氏は産業技術の史学的な立場から、「臥雲辰蔵」と著名がある履歴書を本物と断じがたく、この履歴書の内容を一切採用していない。そしてガラ紡機の発明時期を、
..1876年に完成し,翌年の第一回内国勧業博覧会に 「綿紡機」として出品 され..
(玉 川 寛治 論文 「がら紡精紡機の技術的評価」p1)
としている。「1876年に完成し、」とあり「1876年に発明」と記していないところは微妙な表現であるが、同じ論文の最後の英文では、
A Technical Assessment of the Garabo Spinning Machines.
Balancing Motion or Tenbin, of the GaraboSpinning Machine, which was invented by
Tokimune GAUNnear Matsumoto, Japan, in 1876.
(玉 川 寛治 論文 「がら紡精紡機の技術的評価」p20)
となっており、1876年(明治9年)発明と明確に書かれている。しかしもしそうだとすると、臥雲辰致が明治8年に出したとされる専売願いも間違った情報となる。そしてここで最大の疑問は臥雲家に保存されてきた「自筆の履歴書」の真贋であり、ガラ紡機の開発時期はこの履歴書の真贋の判断にゆだねられることになる。
筆者は、調査の結果国立国会図書館にこの「自筆の履歴書」と全く同じ内容の(ただし署名は臥雲辰蔵では無く臥雲辰致となっている)書類があることを突き止めた。それにより、この「自筆の履歴書」の内容の真贋が明らかになった。そのことは、次章の「自筆履歴書の謎」に書くが、その前にその他の伝記作家の説も記しておく。
〇 村瀬正章 著「臥雲辰致」

村瀬正章

辰致が明治六年に初めて完成した最初の紡機は、すでに述べたように、構造が簡便で、粗糸を作るのに便利なものであり、在来の手紡車に比べると、まったく画期的な発明であった。
(村瀬正章 著「臥雲辰致」)
とガラ紡機の発明を明治6年としている。その論拠は示されていないが、正章氏はこの伝記書の最初の「はしがき」で、
臥雲辰致の事蹟について、これまで断片的に発表されたものは数多くあるが、まとまった伝記としては、榊原金之助氏「ガラ紡業の始祖臥雲辰致翁伝記」以外には見当たらない。本書も、同書に負うところが多い。
としており、明治6年も榊原金之助説を取り入れたと思われる。

〇 宮下一男 著「臥雲辰致」

宮下一男

臥雲辰致の足跡を辿るに当たって、その主たる辰致の時歴は『ガラ紡績業の始祖臥雲辰致翁伝記』(榊原金之助著・愛知県ガラ紡績工業発行)によることにする。
還俗して帰農した臥雲辰致は、住まいを烏川二番地孤峰院の地へ定め、四反二畝二十七歩の畑を耕作しながら、昔の夢であった綿糸紡績機械の発明を再開した。少年時代に作った機械を取り寄せ、分解したり改良したりして組み立て直し、日夜の苦労の末、ついに明治六年、動きも簡便で粗糸を作るのに適した機械を作り上げた。辰致の長年の夢がここにようやく実を結んだのである。辰致三十二歳の時である。
(宮下一男 著「臥雲辰致」68P )
宮下一男氏は、臥雲辰致と同じ安曇野市の生まれであり、また臥雲辰致が住職を務めた孤峰院が在った堀金に居住し、歴史を研究されている。

〇 北野進 著「臥雲辰致とガラ紡機」

北野進

このような時代を背景にして紡績の発明の道を辿るのであるが、話を少しもどすことにする。臥雲辰致三十二歳の明治六年に、以前手掛けたことのある紡機に改良を加え、新しい器機を考案することができた。のちの明治十年の第一回内国産業博覧会に出品する機種の先駆的なものであるように思われるが、正確な記録はない。
とあるが、明治6年の論拠は示されていいない。北野氏は「臥雲辰致とガラ紡機」の中で、「技術史・産業考古学会の同学の友人、玉川加寛治氏の…」と記し、玉川氏の論文の引用をしているが、その玉川氏がガラ紡機の発明の時期を明治9年としていることには一言も言及していない。これは筆者にはいささか奇異に思える。
〇 ガラ紡を学ぶ会 編著「臥雲辰致・日本独創のガラ紡」

「資料1 臥雲辰致とガラ紡機に関する年譜」の中に、
辰致、最初のガラ紡機発明(太糸用、手回し式)(三十二歳)
とある。これは、履歴書を参考にしたものであろうが、『ガラ紡績業の始祖臥雲辰致翁伝記』榊原金之助著の誤謬を継承しているに過ぎない。更に『(手回し式)』と注が記されているが、辰致に最初のガラ紡機が手回し式であったという記録は無い。そればかりか、明治8年の専売特許願いにははっきりと、『水車ニ籍ラハ』と水車駆動であることを明記している。確かに、ガラ紡機の試作機は手回しであった可能性が大きいが、それはあくまでも実験上の事であり、ガラ紡機は水車駆動用として発明されたものである。これらの混乱は、第一回内国勧業博覧会に出品されたガラ紡機が手回し式であった為に、ガラ紡機は手回し式が最初に発明されたと、間違った認識が広まった為と思われる。水車動力のガラ紡機が始めであるとする理由は、信飛新聞などで、最初の実用的なガラ紡機が博覧会以前に、水車で稼働していたとの報道が存在するためである。すなわち、博覧会は会場で稼働させるために、ガラ紡機の水車用の機械を手回しに改造したものと考えられる。
この本は臥雲辰致研究の総集編というべき本であるが、最初のガラ紡機の発明を明治6年としてあることは、極めて残念である。臥雲辰致は20歳で仏門に入ったが、ガラ紡機の発明に対する熱情は熱く、僧侶以前に実験したガラ紡機の欠点の解決方法を、10年の僧生活の間に考案しており、還俗してすぐに、その方法を試し、ガラ紡機が紡績機として機能することを確かめているのである。すなわちこれこそ、辰致のガラ紡機に対する思いの深さを表す史実と筆者は考える。