14章 第二回勧業博出品機の謎

1、大森惟中の報告書

「第二回勧業博出品の謎」に記したように、臥雲辰致はガラ紡機の改良機を出品して、二等進歩賞を授与されたが、実はこの機械がどのような機械であったのか、正確な記録が残っていない。すなわち、第一回内国勧業博覧会に関しては、「明治10年内国勧業博覧会出品解説」という本が出版されており、特に「第四区機械」においては、詳しい構造や動作の説明はもとより、4人の絵師によって機械の詳細のスケッチが掲載されている(これに関しては「博覧会出品の謎」に記したのでそちらを参照されたい)。しかしながら第二回勧業博に関しては、報告書は存在するものの、出品された機械の詳しい構造や動作を説明した文書や、機械の図面がが残っていない。そのような理由で、出品されたガラ紡機の仕様をある程度詳しく推定出来る書類は、この博覧会の審査官特別報告員であった、大森惟中提出の報告書だけである。ただしこの報告書も、ガラ紡機が遅れて出品されたためか、あるいは出品されたガラ紡機が、出品後大きく変更されたためか、本来掲載される予定であったガラ紡機の図面もしくは写真が、解説文上で場所だけ確保されているだけで、実際には空白になっている。従ってこの機械を知るためには、惟中の解説文を読んで、出品されたであろうガラ紡機をその文に沿って想像する以外に方法はない。しかし解説書に書かれているガラ紡機の説明は、第二回勧業博に出品された機械の説明と、博覧会終了後惟中の支援のもと臥雲辰致が改良した機械を説明とが、明確に区別されていないため、解説書に書かれている改良機のいったいどこまでが、勧業博に出品された機械なのか、判断に苦慮する。ただし臥雲辰致は第一回勧業博覧会に出品したガラ紡機に、大きく分けて2つの改良すべき点があるとして、それらを改良したかあるいは改良しようとした機械を、この勧業博に出品したことは間違いない。まずはその2点を記すので、それらを頭に置いたうえで、惟中解説文をお読みいただきたい。

・辰致が第二回勧業博で改良を試みた点
1、糸を最終的に巻き取る糸巻(ボビン)が、それを駆動す上ゴロ(回転丸太)との間にスリップを生じ、強い力で糸が巻き取れないため、細くて強い糸が出来ない。
2、ガラ紡機はそれを動かす人と、糸切れなどを補修する人の2人が必要であり、一人では運転できない。

国会図書館に保存されている、大森惟中の報告書を下に提示するが、使用されている語句が難しいため、筆者がおよその訳を書いたので、先ずそれをお読みいただいたうえで、細かい部分に関してはもとの惟中解説を参照されたい。

大森惟中報告書の概訳 (クリックにより全文表示ー非表示切り替え可)
大森惟中報告書の概訳
本類中最後に載論すべきものは、長野県臥雲辰致の綿紡機なり。十年の会(第一回内国勧業博覧会)にその創造せる綿紡機を出し、一時喝采を博すと雖も、政府まだ専売に制を設けざるを以て、すなわち世人に模擬せられ創造者、この利を享(う)くる能(あた)わず。その数(かず)奇(き=思いがけない)なる実に憐れむべし。而(しこう)して、本会(第二回内国勧業博覧会)の出品は、稍(ようやく)前日の、未だ意に満たさる部分(気に入らない部分)を、改良せり。前回の機は、絡木(糸を巻き取るボビン)を上部の伝軸(横に伸びた回転する木の棒)に架在(上にのせて)し、摩擦によって綿糸を巻収(まきとる)せしむ、かつ、一人これをを運転し、他の一人は看守して、綿糸の切断すると、その盤結して抽出する能わざると、またこの細太釣しからずして纇(らい=糸の節)節を作すものを補足剔去(てっきょ=そぎとる)せり。(糸が切れるとそれをつなぎ、糸の節が出来るとそれをそぎ取る、要するに機械を動かす人と、紡糸をメインテナンスする人と2人必要との意味)今回の機械は、摩擦輪に易いる(代わる)に歯車を以てし(摩擦輪に代えて歯車を用い)、抽出の景况意の如くならざるものあれば(抽出が思い道理にならなければ)、すなわち自らその噛み合を謝絶して寂然休止し(歯車がかみ合わない状態にして抽出を止める)、またこの縦装機を変して、圓装(円状の機械)となし、踏伝せしむるを以てこの補足剔去(てっきょ)などを要するもの、回転して前に到るを待て、手に応えして、之を完全す(足で踏むと、機械がぐるぐる回るので、糸切れや糸だまの撤去を人が移動せずに行うことが可能)。故に一人にして兼ねて綿糸の看守をなすべし、是この前機に比すれば、幾分を改進するところなり(前の機械から改善したところである)。
前回に機を模倣して出品するもの尤も多く、東京府下に内山留五郎、川岸元治、正木貞次郎などあり。栃木県に藤城重義あり、熊本県に入澤正あり、広島県に森戸郁三あり、これら大小その趣を異にすると雖も、一に辰致の範囲を出る能わず(辰致の機械には及ばなかった)。特に森戸郁三の機は聊(いささか)創意を加へ其の筒口に撮合(さつごう=つまみ上げる)状の鉄葉を付せり。これ蓋し(おもうに)指端の霊活(活力のあること)なるがごときにあらず、ゆえにその平均を得る果たして難かるべし(指先のようにスムーズでないので平均を得るのは難しい)。また機背に籆車(いとわくぐるま)を施し兼て巻回して、工を為さしむ。然れども、このまた一時に兩(両)工を兼施せんとするは、運度の緩急相異なるか為に、調匀を得る甚(はなはだ)難く一工絶糸ある毎に、その運転を停め、到底その製額(生産性)を比較すれば、専ら一工を攻むるに如かさるの悔(くやみ)あり(スピンドルをつけて糸を巻きまわす工夫をするが、糸を捩ることと巻き取ることを同時に行おうとするが、速度が変化するためか調節が難しく、糸が切断する度に、機械を止める必要があり、生産性を考慮すると、凝りすぎといえる)。
矢田堀氏云く、欧州紡績機械創造以来今日に至るまで、その改造実に数次ならず。その輓近(近ごろ)用いるところのものは、すなわち鹿島某の購求して(「松本移住の謎」に注意書きあり、鹿島万平が購入した洋式紡績機)、現に王子村水車場に建設せんと舊勧農局に於いて、近日購求するところ2機、すなわちこの物にして、これを知ると雖も、その綿を以て糸となすにいたりては、すなわち、同一の衢路(くろ=四方八方へ通じる道)を馳騁(だてい=うまを走らせる)せざるあたわざるものあり(同じようにはいかない)。蓋し(おもうに)綿の殻を脱するや、その繊維もとより団結して毬状をなせり(綿を殻から取り出すとその繊維は毬のように固まる)。そのこれを搾(さく=しぼる)し、これを弾して、堆積するに至るも、その繊維は錯繞(さくきょう=こんがらがる)して、かならず齋整するあたわず。しかるに一切その端緒を撮出(つまみだ)して、強いて糸を抽取せんと欲す、これをその性に悖(もと=みだれる)れば、瑕疵(かし=傷)また来らざるを得ず、瑕疵既に来りて、指尖これを補足剔去(てっきょ)せば、すなわちそれ錯繞(さくきょう=まとわりつく)の細太に従いて、細糸必ず平均を得る能わず。あるいは、附著(くっつくこと)その根底を失いて、断絶これに従わんとす。(要するに、綿塊を梳綿せずに強く引っ張ると、糸切れを起こす)これ従前我邦紡糸の作業なり(今まで我々が行っていた方法)。故によく糸を抽くものは、努めてその繊維を斎整(梳綿)するにあり。これに目在せんとして反(ひるがえっ)てその外を攻む抑亦末なり(梳綿を行わない方法は上手くいかない)。欧州の機はその要、蓋しこれを斎整するに在ると矢田堀氏の論、じつに理あり(欧州の機械は梳綿を行うことがかなめである、矢田堀氏の論理はもっともである)。臥雲の機もとより、その抽糸の性に悖(もと)れり(臥雲の機は紡績の原理から外れている)。しかりと雖も、我が邦従来の紡糸を用いて織る所の布は、その観洋布の精細の及ばずと雖も、またもって衣服の製するに足る。かつ、洋布に比すれば、久しき耐ふるの功あり(丈夫である)。故に、その工をして、簡易にその価をして、低廉(やすいこと)ならしめは以て今日の世用に供するに余りある(今日の需要をみたすのに十分である)。臥雲の機にしてこれを改良せは、洋糸の精糸の精細いに至らずも、必ず従来我邦の紡糸に譲らざる可し、况(いわん)や欧州の機はその価極めて貴く、容易にこれを設くる能わざるに於いておや、是に由てこを観れば、臥雲創思決して今日に虧(き)く可ならず(欠かすことはできない)。よろしく進めて、その機を改良を謀るへきなり。今臥雲氏の経歴と並びに、この会後再び改良を謀りしことを、左に記し、以て世人に示さんとす。
(臥雲辰致の経歴が書かれているが、この部分は「辰致貧困伝説の謎」に掲げたので省略する。)
蓋し(おもうに)前会の機は、綿筒の下に、墜子(いわ=おもり)の装置あり、これ筒中に装するところの、綿自ずから緊鬆(きんしゅう=ゆるいきつい)あるに由て、抽糸随て細太斎しからざるを致す(筒の中の綿にゆるい場所ときつい場所があり、抽出する糸に細太が生じる)。ゆえに、墜子を軽重して、綿筒の浮沈を節するなり。装糸鬆なるは(=ゆるいときは)抽糸疎大なるは、撚糸疎大となり、撚数過少なり、綿筒軽浮して牽上せらる。よって墜子を重くしてこれを抑ふれば、すなわち糸始めて細なり。装綿緊なれば、抽糸細繊となり、撚数過多にして、断切するに至る。よって墜子を軽くし綿津筒を挑起すれば、糸すなわち接績す。しかれども、その絡木唯に轉軸の上に托在するを以て糸を巻くの力足らず(ボビンが回る木の上に置かれているだけなので、巻き取る力が足りない)。装綿鬆(撚りが甘い)にして、抽糸に易きは、疎大なるも、これを巻き装綿緊にして(しっかり撚ると)、抽糸に難き断切に至るも巻かず(切れて巻き取れない)。故に以て抽糸多くは、疎にして撚り少なく纔(わずか)に緯糸となすに堪え、経糸となすにたえず(撚りが甘いため糸が弱く、経糸に使えず横糸に使用できるだけである)。かつ、その製額寡(生産高はすくな)くにして人(ひと)工に換わるの効を見ず。本会の出品は少なしく、絡木の装置を改むと雖も、なおいまだ十分ならず。またその機械を円転せしむるがために、運回頗(すこぶ)る慢にして、製額随て多からずこれ又以て機械を用いる効果は無い(糸を巻き取る部分の改良は多少なされたが、機械を回転するために、全体の速度が遅く、生産高が少ないので機械を使う効果はない)。
これなお以て機械をもちいる効なきなり。ここにおいて、綿筒の下に墜子を設けず、ただ筒をして直立の紡錘に由(よっ)て轉せしめ、更に絡木の輪円に鉄線を密佈して、歯輪の用を兼せしめ、機の背部に一桁木を横へ、斜めに数枚の細板を桁面に靠倚(たてかける)し、これをして自在に偃仰(えんおう)す可からしむ、面して、絡木を毎細板の上に架在す。絡木の前に一の転軸あり、軸身六角を成し、六子の鉄線を打して釣舌状なす。六釣の中の1釣りを長くす。軸転するに随い鉄釣絡木の輪円にある、鉄線に触れて絡木を、回らし以て糸を捲収せしむ。細板の中心に一孔を穿ち、鉄條の端に錘子を付せるものを、孔中を貫き錘子を推却して、以て細板の偃仰(えんおう)を節す、是れ装綿の鬆緊あるが為にして、即ち前の筒下の墜子に換ふるものなり。細板仰くときは、即ち転軸の一長釣のみ絡木に触し、他釣相触れさるを以て捲収急ならず。細板偃(ふせる)すときは、即ち転軸の六釣しばらく絡木に触るヽを以て捲収甚だ急なり。前機は抽糸の節制を為すもの綿筒にありて、絡木は與(くみす)からず。改良の機は、その節制を為すもの絡木に在り。毎に捲収を催(うな)かすを以て、抽糸渋滞の憂少くその太細大撚数較平均なるがごとくこれを経糸に試むるに、頗る細なり。またその運車を大にして、紡錘を回らすの調糸を快くするを以て随て、製額を倍増するを得たり。今この機図を下に出す。ただし図に、籰車(わくしゃ=糸を巻く道具)を施したれども、これを実際に験するに前に論ずる、不便あるを免れず、故に中ごろにして、廃撤したり(図の中には籰車があるが、これは実験の前の物で、実際は撤廃した)。ここに至って、従前の経糸に耐えざるもの既にその用に応じ、製額もまた増すを以て機械の全効を奏せんとするに幾(ちか)し、然れども全機の製造至って粗にして木と鉄歯を持ちふるを以て、機関の運転其適度に中らず。細板の欹(そばだつ)側絡木の排置等、斎一なる能わず。故に、一弐数の抽糸を以て之を試むるは、効用意の如くして、あまりありと雖も、十数縷を連列するに至って、切断するもの相間り、竟(きゅう=長い時間たって)にその製額をして、一二数を試みる所と、甚だ懸隔(=大きく差があること)せしむ、是れ、機製の精密ならざるに由るなり。蓋(けだ)し糸の綿より抽出する幾寸にして、撚数若干而して之を巻収する幾寸なるを量り、精密にその分度を定めて機関を製造し、且つその要部を鉄造にせは、必ず十分の効用を成すに至る可し今やその機は、全くこれらの測定を盡(つく)さず、唯臆推褍摩(=すいそくにすぎない)してこれを為すに過ぎず。是を以てこの功、殆(ほとんど)と成らんとして成らず。会々(たまたま)辰致妻子頻に帰を促す。蓋し、凍餒(とうない=生活に苦しむ)彌々(はなはだしく)迫るを以てなり。是に於いて辰致、国に帰る。爾後(じご)絶えて音耗(=消息)を聞かず。想うに、應(=きっと)に窮廬(きゅうろ=貧乏)に悲嘆するなるへし。若(も)し更に窘迫(そうはく=窮迫している)せば、溝櫝に自経するにいたらん。それ、我邦人中辰致の如きもの果たして幾人あるや。その志の篤摯にして、百折屈せざる千万人中その類少し。若(も)し世に資材と考案とを助くる人ありて、その機を成就せしめは、辰致の名は欧米の諸発明家と並び馳せて、長く史乗を照らさんとす。しかるに、その志を斎して、餓死せんとし世復たこれをすくうの人なし。天道是が非か余これに至りて筆を投して、慨然(がいぜん=公憤を覚えて憂え嘆くさま)たり。
大森惟中報告書の原文 (クリックにより全文表示ー非表示切り替え可)
第二回内国勧業博覧会 大森惟中報告書









(国立国会図書館所蔵 「第二回勧業博覧会報告書」より)
途中の臥雲辰致の経歴書は、「辰致貧困伝説の謎」に掲げたので省略するが、この辰致の貧困の様子は他の書物等に引用されている。

2、新ガラ紡機の構造

第一回勧業博会出品のガラ紡機モジュール図

筆者作成

第一の工夫

ガラボウ機 糸巻の構造(縁板なし)

作成筆者

 初期ガラ紡は、上ゴロと呼ばれる円転する木の丸棒の上に、5cm程のフランジ(縁)が付いたボビン(糸巻き)を置いて丸棒の回転動力を伝えることによりボビンを回転させていた(図を参照の事)。この方法は数あるガラ紡機の工夫の中でも優れた方法で、ボビンの交換がワンタッチで行えるものである。ただしこの方法は、フランジが狭いこともあり、機械を使用していると丸太とボビンのフランジが削れて滑らかになり、丸太とボビンがスリップして強い巻き取り力が得られない欠点があった。この方法は後に、おそらく臥雲辰致以外のガラ紡ユーザーの手によって改造されるのであるが、ボビンのフランジを無くし、巻き取った綿糸と丸棒が直接接触して回転力を伝え、更にここが肝心な点であるが、巻き取る糸がボビンに均等に巻き取られるように、”ゆすり”という方法で、糸をほぼボビンの幅で左右に振りながら巻き取る方法が開発される。この工夫により、丸太とボビンの間に糸が介在することで、摩擦力が増すことになった。しかし第二回勧業博の時代にはまだこの工夫が無く、動力の丸太とボビンの回転時のスリップが、紡糸の張力に制限を与えていた。すなわち初期ガラ紡は、スリップの為、強い巻き取り力が得られず、細くて強い糸が紡げなかった。そこで辰致は、回転動力の伝達に、歯車を使用する方法を採用し、更に初期のガラ紡機が採用した、綿が詰まった円筒を持ち上げ、綿を捩って糸にする回転を止める方法も、仕掛けを機械の上部に移し、必要なときのみ糸撚る構造とした。

第二の工夫

 初期ガラ紡を使用するには、2人以上の人が必要であった。ただしこれは水車を使用したガラ紡機ではなく、人力を動力にしたガラ紡に関してである。人力で動かすガラ紡は、手回しまたは足で踏むことによって、ガラ紡機全体を動作させるから、機械の動力を与える人はその場所から動けないので、ガラ紡機の各モジュールが正常に紡績を行っているか、見回ることが出来ない。このため、ガラ紡機の運転には最低でも2人の人が必要で、一人が動力を与え、もう一人が糸切れなどの紡績のケアーをすることになる。”一人で運転可能とならないか”という要望が中小の紡績業者から辰致に出されていたのであろう。そこで辰致はガラ紡機のモジュールを円筒状に配し、それらのモジュールが動力によりぐるぐる回る構造を試みた。これにより、機械に動力を与える人は、足で踏んで機械を動かしていると、機械そのものがぐるぐると周り、紡糸状態を監視しながら、糸切れ等が生じた場合は、操作者の前に問題のモジュールが来た時に、それをケアーしながら作業を継続することが可能となり、1人のみでガラ紡機が運転可能なように改造した。

実際の機械はどうであったか

 辰致が第二回勧業博に出品した機械の正式な図面は残っていないと既に述べたが、岡崎美術博物館に一枚の写真とガラ紡機の図面が残っている。写真は幾分不鮮明ではあるが、6角形をしたガラ紡機で、一遍に4錘の紡糸ユニットが付いている。この機械は二つの部分に分かれていて、明らかに片方は足踏み式の動力である。この機械の糸巻は西洋式であり、その部分を拡大してみるとフライヤーが付いている。おそらくこのガラ紡機が、第二回勧業博に出品された物であろう。もう一つの図面は、明らかにフライヤーを持つ糸巻器が書かれており、筒から糸を引き出す部分は、丸太に部分的に金属か何かを巻き付けてあり、その上から歯車状のローラーを自重で押し付けて、綿糸をはさみその回転力で糸を引き上げようとするものである。解説に「すなわち自らその噛み合を謝絶して寂然休止し」とあるが、これは筆者の推測であるが、丸太と糸は深く巻き付けられており、糸の張力が高いときは、糸と丸太との摩擦が大きくなり、糸は強く引かれ、反対に糸の張力が弱いときは、糸と丸太との摩擦が減って糸はフライヤ―で引かれるだけとなる。この機構により、初期ガラ紡機の綿筒を引き上げることによって、撚る動力を遮断するガラ紡の最も特徴のある機構を変えようとしたものであろう。

第二回勧業博出品と思われるガラ紡機

岡崎市美術博物館所蔵
フライヤーを持つガラ紡機

岡崎市美術博物館所蔵

2、改良の結果

 第二回勧業博覧会に出品したガラ紡機は、その博覧会では最高の賞となる「二等進歩賞」を獲得した(「一等進歩賞」は該当がなく「二等進歩賞」が獲得された最高の賞であった)。ただし惟中報告にもあるように、ぐるぐる回る機構は、冗長度が多く、機械の動きが緩慢となり、実用に供しなかった。また歯車を使った糸送りの工夫は、精巧さに欠けていたためか、これも問題があり、辰致は第二回内国博の後、東京に留まってこの機構の改善を試みる。そしてこの後、さきに記した臥雲辰致貧困伝説が生まれることになる。第二回勧業博覧会の後、辰致がどのような工夫を重ねたかは、このおよそ10年後に新ガラ紡機の特許申請を行うのだが、その際特許申請を行った機械がその工夫の結果であると思われるので、その章で記すことにする。