2、仏像や重宝の行方について(1)
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2−1 赤いベンガラ塗りの「厨子」
備考::若澤寺金堂にあった、赤いベンガラ塗りの厨子。
場所:松本市今井 正覚院
松本市今井の正覚院観音堂に安置されている。 旧若澤寺金堂にあった、赤いベンガラ塗りの厨子は、 本来であれば薬師如来が置かれるべきだが、現在お厨子には仏像は入っていない。
旧若澤寺金堂の厨子内から移転の由緒書発見
 今井地区の正覚院では朱色の厨子へ、浅間の旧真観寺から明治六年十月に移譲された観音立像を収納するため、 二〇一九年厨子の裏側の板を取り外したところ、墨書で木の札に移転の由緒書が、 二十二世住職台譽実成師により誌るされていたものを発見しました。 この金堂(現観音堂)と厨子は明治八年に上波田の若澤寺より正覚院が買い取り、明治九年春には官許(筑摩県) を得て再建したと記されております。
明治九年(一八七六)記
写真提供
      松本市村井小屋南二‐三‐五
        宮嶋洋一殿

2−2 庫裏で使用の「欄間(透かし彫り)」が正覚院に
備考:
場所:松本市今井 正覚院
今井の正覚院が所持している透かし欄間は、かつては若澤寺の庫裏のお座敷の欄間に使われていたもので、 今は正覚院で大切に保管している。透かし彫りで上品な欄間です。

2−3「掛軸(虎渓三笑之図)」が今井公民館に
場所:松本市今井公民館
この絵は若澤寺護摩堂の襖絵の「虎渓三笑之図」です。 昭和九年(一九三四)ころ今井村で役場を新築しました。 それまで若澤寺から移した旧護摩堂と庫裏を庁舎として使っていたが、そのまま産業組合(農協の前身)に譲ったのです。 この旧庁舎にあった襖絵を掛軸にした経緯を、今井地区在住の原勝美さんにお聞きしました。 「作家は、奥絵師 狩野伊川院栄信(文政十一年没(1828))と言伝えがある。 また、現在は松本市今井公民館の管理ですが、村役場では、旧若澤寺護摩堂と庫裏の襖絵を掛軸に表装したのは、 昭和九年ごろ行われた」とのことです。 画題『虎渓三笑之図』は「大辞苑」(岩波書店)によれば、虎渓とは中国江西省九江の南、盧山にある古跡。 『虎渓三笑』は中国の四世紀ころの画題で、晋の白蓮教祖僧慧遠(えおん)が盧山の東林寺に隠居して、 「虎渓を渡るまい」と心に誓ったが、ある時陶淵明(とうえんめい)(帰去来の詩の詩人) と陸(りく)脩(しゅう)静(せい)の二人を帰りに送って、 思わず虎渓を通り過ぎてしまい、三人とも大笑いしたとの伝説を絵に描いてある中国の賢人達の逸話が画材となっています。

2−4−1 旧若澤寺の乗り「駕籠」が正覚院に
場所:松本市今井 正覚院
波田水沢山若澤寺住職は権大僧都という高位の格式を持ち、 京都の本山智積院への登り下りは、駕籠に乗り、 供ぞろえで、 中山道の宿場では本陣に泊る格式でした。 慶応四年(1868)の什物帳にも「乗駕籠一挺」と記されていますので、 正覚院に残る駕籠は、今井から出家した、水沢山主の「尭賢」の寄付したものです。

2−4−2 松本市今井田中家墓地 水沢山主の「尭賢」が建てた墓碑
場所:松本市今井
今井田中家の墓地には、還俗した住職「尭賢」が両親のために建てた墓碑があります。

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