2、仏像や重宝の行方について(9)
前へ  次へ
2−39「木造阿弥陀如来座像」が本尊
備考:
場所:松本市波田上波田
波田地区上波田阿弥陀堂は、江戸時代の元禄ころ無住になった旧若澤寺の塔頭(たっちゅう) 西光寺跡から移されたといわれている。 本尊の「阿弥陀如来座像」には天和三年(1685) に渚村大工二木杢左衛門作と木札にある木像です。 松本市重要文化財に指定されております。
2−40「仁王門」は旧若澤寺の山門
備考:
場所:松本市波田上波田
旧若澤寺の山門だった波田地区上波田の仁王門は、廃仏毀釈の後は、阿弥陀堂と共に上波田地区で管理しております。 仁王門が老朽化したため、昭和六十一年に全面改修を行い、屋根も切り妻の瓦葺を変更して、 西光寺絵図を参考に入母屋造りの茅葺風の銅板として復元、柱や木組み、板壁など西光寺絵図と同じ朱塗りとしました。 毎年四月に、上波田高齢者クラブが、昔より幼児のはしかが軽く済むとの言い伝えのある、仁王尊股くぐり祭りを実施しております。
2−41 長野県宝「金剛力士像」(仁王尊)は鎌倉時代末の作
備考:
場所:松本市波田上波田
仁王尊(金剛力士像)は、昭和四十九年(一九六六)県宝に指定されました。 昭和六十一年(一九八六)には京都の美術院で解体修理されています。 胎内銘には鎌倉時代末の「元亨二年(1322)大旦那源重久・仏師善光寺妙海」とあります。 旧西光寺の七堂から、元禄末(1688〜1703)ころ波多神社南へ移転しております。
2−42 「絹本不動明王像掛軸
備考:
場所:松本市波田上波田阿弥陀堂
旧若澤寺の什物帳で最も古い承応二年(一六五三)に住寺隆仁の記録の中には 「三尊不動之画一軸、興教大師御筆隆仁寄附」と書いてあります。 描かれた時代は、室町時代の作画といわれ、脇持にコンガラ童子とセイタカ童子を従えた、 火焔光背を負う古式の不動明王画像であったのですが 、残念なのは表装修理を文化財専門家に委ねなかったため、掛軸の状態を悪くしてしまい、 松本市の文化財指定からも除外されてしまいました。
2−43 阿弥陀堂横の「閻魔大王の碑」
備考:
場所:松本市波田上波田阿弥陀堂の南側
場所:松本市波田上波田阿弥陀堂の南側  波田地区上波田阿弥陀堂の南側の「閻魔大王の碑」は線彫りの像と共に 「天正二年(一五七四)七月本願越前住経聖」の銘が刻まれ、 元は若澤寺十王堂にあったといわれております。松本市の重要文化財に指定されております。 この外境内には、天正三年(一五七五)五月日銘紀州の僧高圓が建てた供養碑や 上波田に天正二年十一月の「大乗妙典六十六部供養」 「越前住僧道春聖」の刻銘の碑も残っております。
HOME
リフレット等
〇「若澤寺跡案内」
著作権
このホームページに関する著作権は全て「若澤寺保存会」に帰属します。 「若澤寺保存会」に関する問い合わせは、左の「若澤寺跡案内」のリフレットを参照ください。
Copyright(C)2019/若澤寺保存会 ALL Rights Reserved
   ホームページ作成者:T.Takei