明治初年に起こった廃仏毀釈で、消滅した若澤寺の建物や重宝が、近隣の市村に散逸していることは史料に残されており、 散発的に、見学をしたり、写真を撮ったりしてきました。
今回、現存することが確認されている旧若澤寺の建物や重宝について、今まで撮った写真と、さらに追跡調査を行い、 新たな写真を加え、それらに百瀬光信講師の調査内容の説明を付加し、散逸した遺物の来歴がわかるようにして 一冊の冊子にまとめました。特に個人のお宅に保管されている物については、今回ご好意により開示していただきましたが、 一般には見ることが難しいもので、貴重な史料となることと思います。
この取材を行う過程で、想像した以上に、多くの物が大切に維持、保管されている事を感じました。
その一方で百五十年の歳月が経過する中で仕方がないことではありますが、今井地区の「庫裏・護摩堂」のように、 昭和年代の後半になって取り壊されたり、安曇野市「瑠璃光寺の鐘楼」のように近年新しく建て替えられ、 昔の面影が全くなくなってしまった物などあります。
又山形村竹田に移築された「稲荷社」は風雨により破損が進み、 いつ取り壊されても仕方がない状況になっているし、盛泉寺不動堂の軒下に置かれている「びんずる座像」は 風雨にさらされている状況に近く破損が進んでいる。
その他の建物や重宝についても、後世に残すために、何らかの手を打つ必要性を強く感じました。
この編集を通して、かつて存在し、信濃日光と呼ばれた若澤寺の絢爛たる寺であったことの一端を、 かいま見ることができました。
明治政府が実施した神仏分離令とそれに呼応する形で起こった廃仏毀釈運動により、若澤寺の建物と貴重な寺物が 散逸してしまったことの無念さを感じ、 今残っていれば、何らかの形で、社会貢献ができ、状況も変わっていたのではとの思いを強く持ちました。
平成三十一年四月吉日
波多腰英文
