そそっかしいイギリス人 | |
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イギリス人嫌い
私のイギリス人嫌いは徹底している、イギリスに出張に行く前の日は神経性の下痢が起こるほどである。
理由は色々あり数え上げるときりが無いのでやめる。 我々日本人は、イギリス人と聞くと落ち着いたジェントルマンを思い浮かべるが、もちろんのことそうでないイギリス人も居る。 私の会社のイギリスの代理店の技術者はMicと言った、Micはその当時35歳ぐらいの鬚面の身長が160cm位の男性であった。 Micのそそっかしさときたら郡を抜いていて、機械を修理に行くと直すよりも壊す事の方が多いくらいであった。 ガソリンスタンドにガソリンを入れに行く度に、車の屋根の上にガソリンタンクのキャップを置き忘れ、 そのまま走り出すものだから、しょっちゅうキャップ買いに行かなければならなかった。 ちなみに当時からイギリスもドイツもガソリンスタンドはセルフサービスであった。 私もよくMicと客先に出かけたが、彼が何か失敗するたびに"あほのMic"と呼んでいた、もちろん日本語だからMicには判らない。 Micは典型的なロンドン子であって極めて正統なロンドン訛りを話した。 いわゆる悪名高いコックニルと言うやつである。 この為に私はMicの言うことが、殆ど聞き取れないのである、それに輪をかけてMicは早口であった。 Micも多分私の事を英語も理解できないばか者と思っていたのであろう。 イギリス人やアメリカ人で日本人に早口でまくし立てる人は、大体において英語以外の言葉を話したことが無い場合が多い。 そうした者は外国語を聞き取ることの難しさを知らないやからである。 Micが早口でまくし立てる度に私は内心「この無教養者めが!」と思ったものである。 ところがである、ある時Micとフランスの代理店に行った事があった。 フランス人は英語を話す者が少なく、意思の疎通には私も苦労していたのである。 そこで何とMicは流暢なフランス語を話したのである。 流暢なフランス語を話すイギリス人など見たことが無いと、フランスの代理店の人間は目を丸くした。 Micがどこでフランス語を勉強したのかとたずねてみると、「ユニバーシティ」と言った。 なんと彼は大学でのインテリであった。 イギリス人のプライド
仕事の立場上、私はMicに技術的なことを教えることがよくあったが、Micはいくら私が難しいことを
教えてやってもメーカーの技術者として知っていて当然であると言う顔をするのである。
あるとき私はMicの高慢な態度に腹を立てて、鼻っ柱をへし折ってやろうと思い"ハンディキャップ" という言葉の起源を知っているか聞いたことがある。 多分ゴルフから来ているのだろうとMicは言った。 "違う"私は言った。 "ハンディキャップは昔競馬をしたときに、インコースよりもアウトコースの方が不利な為、 あらかじめ帽子の中にコースを書いた紙を入れて、 ジョッキーに引かせ、それによってコースを決めていていたのだ、そしてその帽子からハンディキャップと 言う言葉が生まれたのだ"私は続けた。 ふーんと言うような顔をして、Micは憮然として行ってしまった。 なんの事は無い私もちょっと前に仕入れたねたであった。 これは日本人がイギリス人から "おしゃかになる"という言葉の起源を教わったようなもので、 Micのプライドを傷つけたはずであった。 今考えると、私の方がはるかに、いやな人間であった。 そんなこんなで、なんとなくギクシャクした関係のまま、私とMicはよく客先に出かけて行った。 ミュージック・スタジオで
ある時、私がイギリスの代理店でもあるMの会社のオフィスで打ち合わせをしていた時のことである。
私の会社で作った機械を使っている客から、機械の調子が悪いため至急来てほしいとの連絡が有った。 その機械はスタジオで使用する機械で、今晩そのスタジオを使って有名なミュージシャンが録音をすることになっている、 と言うことである。 私は職業柄良く有名なミュージシャンと会う機会が有った、しかし特に音楽に興味の無い私は、よほど有名なミュージシャン でも名前を知らないことが多かった。 ある時デビット・ボーイに会ったのであるが、ボーイの名前も知らずに変なおじさんだな位にしか思わなかったが、 ドイツに帰って、秘書に昨日デビッド・ボーイに会ったよと言ったら、「ボーイ!」と失神しそうな顔をしていた。 話を戻すが、スタジオのオーナーはミュージシャンはアメリカから来ているので、 何とか録音開始までに直してほしいと電話の向こうで懇願していた。 とにかく私とMicはそのスタジオに出かけて行ったのである。 スタジオには既にミュージシャン達が来ており、ドラムを叩いたり、ピアノを弾いたりと機械が修理されるのを待っていた。 私は握手もそこそこに先ず機械を開けてみた、そして驚いた、本来有るべき部品が燃えてしまっていて動作しないのだ。 弱ったと私は思った、部品を交換しなければならない、しかし部品は今手元には無い。 今日中にセッションが始まらなければこのスタジオのオーナーは大変なことになるし、機械を売ったMicの会社もオーナーから 訴えられるかも知れないのだ。 私はMicの顔を見た、そして燃えた部品を示して変わりの部品が必要であることを説明した、"その部品なら事務所にある"Micは言った。 しかしロンドンは夕方のラッシュアワーの時間帯である。 マリーボーンにあるオフィスまで部品を取りに戻ってもゆうに3時間は掛かる。 私は弱っていた、Micも困った顔をしていた。 私の仕事
私の会社はヨーロッパの殆ど全ての国に代理店を置いていた、その代理店に私は度々出かけるのであるが、
出かける理由は2つあった、セミナーの講師かクレーム対策である。
セミナーは代理店の技術者や大手のユーザーに対して、機械のメンテナンスや調整方法を教えるのだが、 これは私にとってはどちらかと言えば楽しみであった。 しかしながらクレーム処理は違う、代理店とユーザーがトラブルになっている場合や、 ユーザーがかんかんに怒ってしまっている場合が多い。 この場合は大変である、先ずは客の機嫌を直してから、客が望む状態に機械をしなくてはならない。 客先には大抵は代理店の技術者が私に同行する、二人で協力してトラブルを解決しなければならない。 そしてここに奇妙な連帯感が生まれるのである。 私は機械の修理に専念することになるが、機械の修理には部品や測定器が必要となる、 代理店の技術者はその部品や測定器の調達を受け持つ、時にはホテルの予約や、 風邪を引いて頭が居たなどという私の要望に応えて、薬の調達もする。 時としてトラブル対策は3−4日に渡ることもあった。 トラブルといっても単純な機械の故障ではなく、機械そのものが持つ不具合や、設計不良が原因の場合が 多かった。 単純な故障は代理店の技術者や、ユーザー自身が直してしまい、私が呼ばれることは先ず無かったのである。 私は出張に際して修理に必要な工具などは一切持参しないことにしていた。 全て必要な工具は現地調達である、ただし機会の設計図面を常に持ち歩いていた。 トラブル対策は、この設計図面との孤独な戦いとなる、限られた部品でトラブルを解決しなければならない、困難さが有った。 代理店の技術者もトラブル解決が難しいことを良く知っており、私に対して十分気を使ってくれた。 彼らは時々何100Kmも離れたところに部品を取りに行ったり、緊急に私のドイツの事務所から送られた部品の 通関を空港ですることもあった。 大概の場合私は結構うまくやって、何とかトラブルを解決することが出来た。 そしてその国の代理店の技術者と言葉を超えた、友情のようなものが出来上がった。 さて話を戻そう。 厳然と
私とMicは顔を見合わせて、しばらくお互いに何か良い方法は無いか考えていた。
"地下鉄で戻ればラッシュアワーは関係ないので、往復2時間で戻れる、地下鉄まではタクシーで行けばいい"Micは言った。 しかしアーティストたちはドラムを叩いたり、ギターを弾いたりしながら、機械の修理が済むのを今や遅しと待ちかねているのだ。 私にはミュージシャンにこれから更に2時間半待ってくれとはとても言えなかった、しかし他に方法は無い。 その時であるMicが突然立ち上がって今まで聞いたこともない、大きくてはっきりした声で言ったのである。 "ジェントルマン ウイーハブ ア プロブレム"(諸君、問題が起きた)と。 そして今全力を尽くして修理しているが、部品が無いため修理に2時間半くらい掛かると続けた。 ロンドン訛りで無いしっかりとした英語であった、その口調は断固として威厳に満ちており、反論を許さない迫力があった。 ミュージシャン達は一瞬静まり返ったが、Micの迫力に押されたのか、納得して再び練習を始めた。 このときほどMicが大きく見えたことは無かった、160cm位の彼が180cm位の大男に見えた、 そしていつも貧弱そうに見える彼の顔が大学教授の顔のように見えたものである。 やがてMicは部品を取りに戻った、私は部品が来たときすぐに修理が完成するように出来る限りの準備を始めた。 粗忽者め!
やがて2時間ほどしてMicが部品を持って帰って来た、"でかした" と私は思った。
ところがであるMicは部屋に入ってくるなり私のところに来て小声でこう言ったのである。 "今そこの駅を出たところでつまずいてこの部品を落としてしまった"と。 私は慌ててその部品の包みを開けてみた、案の定部品は落とした拍子に壊れており、そのままの使用できる状態では無かった。 "アホのMic!" 私は思わず叫んだ、そこには先ほどのMicは居らず、いつものそそっかしいMicが居た。 それからが大変だった半分燃えた部品と、Micが壊した部品との使用できる部分だけを取って、新しい部品を作ったのだ。 どうやらその場はその部品で事なきを得たが、私のMicに対する評価は今までと同じ"アホのMic"で有った。 イギリス人のユーモア
話はすこし戻るが、Micが部品を取りに戻ってしばらくしてから、スタジオのオーナーが様子を見に来た。 私はオーナーに一通りの説明をした。 オーナーは尋ねた"こういったトラブルはちょくちょくあるのか"と。 私は"NO"と言った、社交辞令である。 オーナーは私の方に手を出して握手を求めこう言ったのである"私はラッキーな男である A社から買った機械が故障して何回も修理に来た、その時技術者にこういう事はよくあるかと尋ねると、初めてだ"と言った。 そして今度はおまえの会社の機械である、私は本当にラッキーな人間だ、いつも初物にあたる"と。 この言葉には参った、そしていっそうイギリス人が嫌いになった。 私が日本に戻って何年かたった時、Micが日本に来た、私は自分の生まれ故郷で彼を迎え、色々な観光地に連れて行った。 又日本の習慣や食べ物も紹介した。 Micは大変感謝して帰って行った。 なつかしい思い出である。 |