「片桐機長、何するんですか?! やめてください」 | |
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スコットランド エジンバラへ
この日私はスコットランドのエジンバラに行くべく、イギリスのヒースロー空港に居た。 実は前の日にロンドンのマリーボーン駅の近くにある代理店を定期訪問したのであった。 私の訪問中にこの代理店にスコットランドのユーザーから電話があり、 機械の調子が悪いので、技術者を至急送ってくれという依頼が有ったのだ。 通常この様な場合は、代理店の技術者が行って修理をすることになっている。 私は代理店の技術者の教育係で直接私が代理店の技術者抜きでユーザーを訪問する事など無いのである。 ただこのユーザーは代理店の話によると、かなりのクレーマーで、 以前より色々面倒な注文をつけて、代理店の技術者を困らせているとのことだ。 代理店のオーナーは、ぜひこの機会に私が行って今までの問題を全てクリアーにしてほしいと言うのだ。 何のことは無いオーナーは私が定期の打ち合わせで訪問したことを良いことに、 体よく、面倒な仕事を私に押し付け、ついでに経費まで浮かそうと考えているのである。 こういった時のイギリス人は戦略的で、不遜で、ずるく、尊大である。 私がこの仕事は契約上も代理店の仕事であり、私が関与すべき問題ではないのではないかと、 極めて理論的で紳士的に、その上日本人独特の恥じらいを持って主張しても、まったく意に介さず、 自分の都合の悪いところは適当に笑ってごまかし、一旦こちらが不利と思われると、 今までの柔和な笑いを完全に引っ込めて、こちらの痛いところをぐりぐりとほじくりかえすのである。 ましてや会話は英語で行われており、しかも相手は悪評高いロンドン訛りのコックニルで 相手の言っている事は70%位しか私には理解出来ない。 つまりこの勝負の結末は、はなから決まっていた、所詮アウェイである。 空港労働者のストライキ
結局私はろくなあがらいもままならぬうちに、体よく言い包められ、一人でスコットランドに行く羽目になったのである。
ヒースローの空港からスコットランドのエジンバラまでは国内線の旅客機で行く。 順調に行けば約1時間のフライトであるが、この時のヒースロー空港はあいにく空港労働者の 一斉ストライキがあり国際線が軒並みキャンセルになっていた。 ただし幸いなことに国内線に関しては「On Time」つまり順調と言う表示が出ていたのである。 フライトがキャンセルになったらどうしようかと心配していた私は、この表示を見て安堵の胸を撫で下ろした。 何しろ私のスケジュールときたら、空いているのはその日だけで、明日からはスエーデンのストックホルムで、 日本から来る我が社の社員と、当時有名だった歌手のアバ(ABBA)のスタジオに行くことになっていたのである。 ヒースロー空港は巨大空港である、その中で国際線はいつも混雑していて、とてもくつろげる空間など無いので在るが、 国内線のラウンジは国際線と違い、何かのんびりしたムードがあった。 飛行機の離陸まで役1時間位の間、私は本など読みながら、ラウンジでボーディングが始まるのを待っていたのである。 そろそろボーディングの開始時間かなと思っていると、ボーディングゲートの前に一人の空港職員が進み出て、 何やら大声で乗客に話しかけている。 私の場所はゲートから、少し離れていたので、その職員の言葉をはっきりと聞き取ることは出来なかった。 その職員が話し終わると、そのラウンジに待っていた乗客がぞろぞろとその職員の後についていくのである。 「ゲートでも故障したのかな。」そう思った私はその乗客たちに従ったのである。 しばらくしてふと気が付くと、列を成して歩いていくのは男ばかりで女子供は居ないのである。 少し変だなと思った私は隣の男性に「何か起こったんですか?」と聞いたのである。 その男性が言うには、「本日は空港労働者のストライキがあり、 乗客の荷物を飛行機に乗せる人員が全てストライキで居ません、乗客の皆さんの中で男性の方はどうか 自分たちの荷物を飛行機に乗せて頂きたい。」と空港の職員の依頼があったとのことである。 つまり我々は空港労働者の代わりに飛行機に乗客の荷物を乗せるべく、エジンバラ行きの飛行機に向かって 歩いているのである。 飛行機に荷物を積む
やがて我々は通常は決して通ることの無い空港の地下通路を通って滑走路に出て、エジンバラ行きの
中型の航空機の荷物室の前に立っていた。
そこで空港職員は、荷物の積み方と固定の仕方を説明し、そしてこうのたまった「我々職員は、規則により積み込みの 作業を手伝うことが出来ないので、作業は全て乗客の皆さんでやってほしい。」と。 見事である、紳士的、理論的で知的、まさにこれぞイギリスの面目躍如ではないか。 しかも完璧なことに、乗客の荷物の積み下ろしは規則違反ではないのである。 そんな訳で我々罠に陥った哀れな奴隷たちは、一言の反論もないまま、荷物を飛行機に積み上げたのである。 幸い荷物の積み込みはたいしたことが無く、重い荷物の運搬はもっぱら大男のイギリス人が行い、 私は飛行機の荷物室に上がって、積み込まれた荷物が動かないように網をかける仕事を請け負った。 奇妙な国際分業である、作業が終わると、空港係員が、サンドイッチと紅茶を運んで来た。 飛行機の荷物室で乗客が紅茶を片手にサンドイッチを食べる、これも規則違反ではないらしい。 何があってもお茶は飲む、これが大英帝国流なのだ。 そして私も皆に従い、今しがた積み込んで固定した荷物の上に腰をかけて、紅茶を飲みながらサンドイッチをほうばり始めた。 初めて知った飛行機墜落のニュース
しばらくすると隣の男性が突然私の方を見て、「どこらら来たの?」と尋ねた。
「From Japan」こう言う時、我々日本人は少し誇らしげに言う、まだ日本が「Rising Sun」の頃の話である。 するとその男は手に持っていた英語の新聞を出してその1面記事を示し、「昨日東京の羽田で、飛行機が墜落した」と告げた。 後にこれが悪名高き、「日本航空350便墜落事故」だと知る。 私は急いでその新聞の記事を見た、そこには無残に壊れた飛行機の残骸が写真として載っていたのである。 なぜだろう、急に私は郷愁を感じた、無性に日本に帰りたくなった、遠いふるさとで知らないうちに何か大変なことが 起こっているのではないか、そんな気持ちだった。 2年以上日本から離れて遠いヨーロッパの地で殆ど一人で旅行をしていたが、こんな感情が湧いてきたのは初めてのことだった。 「うーん」私は狭い飛行機の荷物室の天井をにらんだ。 この時の私の表情はよほど寂しげに見えたのであろうか。 どこからか「たった60m落ちただけ、しかも海の上、殆どの人は助かったようだよ。」という声がした。 私を慰める言葉だった。 「Don't worry about this.」(心配するな)と誰かが言った。 そこに居る全員が私の方を見ている。 「ロンドンに居て良かった、東京に居たら今頃海の中を泳いで居るかもしれない。」と私は言った。 ぎりぎりのジョークである。 「あはは」と笑いが起こった、多分面白くも無いジョークに皆笑ってくれたのだろう。 私も笑った。 どこの国の人も旅人には優しい、寂しい時は小さな心使が心に沁みる。 飛行機内でチケットを買う
しばらくして私たちは飛行機に乗り込んだ、既に他の乗客は席に着いており、我々荷物積み込み係のシートは、
一番良さそうな前のシートが人数分だけ開けられていた。 私もシートに腰をかけて、ホット一息ついた時に急に思い出した、「チケットをまだ買ってない!」。 私は慌ててそばに通りかかったスチュワーデスに「チケットを持っていないんだけど」と言った、「OK」と言う言葉が返ってきた。 なんのことは無い、まだ誰もチケットを持って居らず、飛行機が飛び立ってから、ワゴンを押したスチュワーデスがチケット を売りに来たのである。 約半日ほどしか滞在しなかったが、スコットランドのエジンバラはすばらしい所だった。 クレーマーのスタジオのオーナーも初めの想像とは違ってとても気さくで良い人で、機械のトラブルもたいした事はなく、 調整方法を少し勘違いしていただけであった。 スタジオのオーナーは「トラブルでは無いのに、わざわざ日本人に来てもらって悪かったと」しきりに謝罪し、 ピュアーモルトのスコッチウイスキーとスコットランド柄のネクタイをお土産にくれた。 その日の夜ロンドンに帰ってきた時にはさすがにくたびれ果てていたが、貴重な体験をした一日であった。 その後このスコットランドのオーナーは我が社の機械のファンになり、ロンドンで機械の展示会が在る毎に、 わざわざスコットランドからロンドンまで来て、我が社のブースで、 社員そこのけで、ブースを訪れる客に我が社の機械の宣伝をしてくれた。
後にドイツ人に「イギリス人でも中にはいいやつも居るんだな」と話したところ、「スコットランドはイギリスではないから。」 と言われた、なるほど。 |