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画像ファイル イタリア編 ローマ タクシー騒動記
トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー騒動記
3モデナで道を聞く
4そそっかしいイギリス人
5片桐機長何を...
6ブルーカラー
7横メシ1
8横メシ2

ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本


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イタリア出張
画像 え! イタリアですか?
ヨーロッパは隅から隅まで飛び回った私でも、イタリアはあまり好きではない。
ミラノの空港で財布をすられたこと、ナポリでタクシーにぼられたことが頭をよぎる。
スリと言えば、私は海外で2回財布をすられている。
一回はパリのシャンゼリゼのど真ん中、夕方フランス人と歩いていると、交差点でジプシーの子供たちが 20人位やってきて、押し合いへし合いすれ違った。
その時私は肩から掛けた小さなバッグの中から財布をすられたのである。
まさに旅行のガイドブックに載っているそのままである。
その時は、交差点を渡ってすぐに財布をすられたことに気が付いたが、すでに子供たちはちりじりばらばらで、 悔しがったが、後の祭りであった。
2回目がミラノの空港である、何時すられたのかわからないが、いつの間にかやはり 肩から掛けた、バッグの中から財布だけをすられてしまった。
このときは不覚にも、飛行機に乗るまで気が付かず、機内でようやく気がついたのであるが、 さすがイタリアのすりは芸術的だなと感心したものだ。
それ以来私は財布をバッグの中に入れることをやめ、ズボンの後ろのポケットに入れることにした。
なぜズボンの後ろのポケットかと言うと、欧米人には財布を、 ズボンの後ろのポケットに入れておくという習慣が無い、と私は思っているからである。
従ってスリもまさかズボンの後ろポケットに財布があると気づかないはずである。
まさにその盲点を私は突いているのだ、スリが聞いたら笑うかも知れないけれど。
確かにズボンの後ろポケットに財布を入れてから、財布をすられたことは皆無である。
外国で財布をすられてさぞかし大変で有ると思うかも知れないが、さほどの事はない。
もともと私の財布には大してお金が入っていないのだ。
実は私のズボンは少々仕掛けがしてあって、ベルトの下あたりの裏側にポケットが有り、 其の中にパスポートを現金及びクレジットカードが入っているのである。
財布に入っているのは見せ金でせいぜい2万円位である。
ヨーロッパでは殆ど無いが、強盗にホールドアップさせられて、財布を取られた時に、 強盗が見て怒らないと思われる金額が入っている。 もちろん財布には現金以外は何も入っていないので有る。
イタリア出張が好きでない、第二の理由は、私は大の観光地嫌いである、およそ世界の観光地と言う所に、 見るべきものは無い、と私はは思っている。
今回はイタリアのそれも世界最大の観光地ローマに行けということなのだ。
すまじきものは宮仕えかな、サラリーマンは会社の命令に否もおうもないのである。
結局なんのあがらいも無くローマに行くことになった、今から10年位前の話である。

食事はイタリアが最高だな
まあそれでも良く考えて見ると、イタリアにもいいところはある、まず第一に飯がうまい、 何を食べてもうまい、田舎のレストランに行ってもうまい、しかも安い。
パルマで食べた "パルマハム With" メロン これは絶品だった、 よく熟れたメロンの上に薄切りの生ハムが乗っている、甘いメロンとちょっと塩のきいた生ハム、 絶妙のコンビネーションだ、今思い出してもつばがこみ上げてくる。
ナポリのサンタルチア湾のまん前のホテルのレストランで食べたスパゲティの"ナポリターナ"、 トマトベースのいかやあさりが入った海鮮風のスープのスパゲティー、スパゲッティのナポリタンは 日本人の発明だと言うけれど、本場のナポリタは、海鮮風のスパゲティーだったのかな。
そうそうモデナで飲んだランブルスコ、ちょっと甘口の発泡ワインで、ピンクシャンペンなんていわれ、
口の中ではじけるシルキーの泡はで最高だった。
ランブルスコはどちらかというと安いワインの仲間だけれど、モデナの人は毎日水代わりに飲んでいて、 これが無いと生きていけないと言っていた。
このワイン日本にも輸入されていて、近くのスーパーで1本550円で売っていたことがあり、 宝物でも見つけたように、3ケースも買ってきて毎日少しずつ飲んでいたが、 日本ではあまり人気が無いとみえ、残念なことにその後見なくなってしまった。
イタリアの良いところの二番目はイタリア人はよく言えば鷹揚、悪く言えばいいかげんで、 仕事の話でも、たとえこちらに非があっても、あまりシリアスにはならない。 今回は私の会社で納入した機械の調子が良くないということで、私が行くわけであるが、 イタリア人なら多少のことは説明すれば許してくれる。
これが、ドイツや北欧の国であると、彼らが納得がいくまで絶対に許してもらえない、
特にドイツ人は一度だめと言ったら何があってもだめである。
話はそれたけれどそのような訳で、ビバイタリア!とにかく私はローマに行くことになった。

社内の事情
私の会社はドイツにヨーロッパ全土をカバーする直営の現地法人を持っていて、 そこにはちゃんと日本人の技術者が居るのである。
"ドイツから技術者を出せばいいでしょう"と私は言ったのだけれど、ドイツの現地法人の支配人は、 "君の方が技術力があるから"とか、"今までのいきさつも有るし、イタリア人は、 今回のトラブルで結構怒っているから"などとのたまっている。
ドイツに長くいる支配人は、ドイツ流が身についていて、面倒で儲からないことはやりたくないのだ。
結局、粘り腰で色々交渉してドイツからも一人技術者が出ることになった。
私は初めての場所に行くときは、結構いろいろと調べる、それは今までに何回となく
痛い目にあった経験から来たものだ。
その中で一番大事なことは、どうやって空港からホテルに行くかである。
旅先では先ず第一に、一夜の宿を確保することが、古今東西を問わず最も大切なことなのだ、 ホテルにたどり着いてチェックインをしさえすれば、よほどの事が無い限り、その後のことは大抵は何とかなる。
そのような訳で、この大事なホテルの予約確認は必ず自分でやることにしている、 間違っても現地の人だけに任せてはいけない。
そして次に大事なことは、行く先にどんなお土産があるか調べておくことである。
珍しい場所に行って何もお土産や記念品を買ってこない人は馬鹿である、 何か記念になるものを必ず買ってくる、たとえ道端に落ちていそうな木の根っこでも良い、
旅行が終わってずいぶん後になって、このお土産を見たときに、つまらないものを買ったという後悔とともに、
その旅の思い出がよみがえってくるのである。
まあそれはさておき今回はドイツから来る技術者とミラノの空港で待ち合わせることになっているので、案外気軽である。
2人居れば空港なんかでも前後の注意は出来るし、お客さんのところに行っても、 一人は苦情を聞いてもう一人は機械の調整に専念できるからである。
飛行機はミラノ乗り換えのローマ行きアリタリア便、ローマ到着は夜の10時ころである。
夜遅く空港に到着する便は本当は好ましくない、空港の案内所や銀行が閉まっている場合が多いからである。
しかしながら今回は、先にミラノに着いて私を待っている日本人の技術者がイタリア リラへの両替を済ませて、 空港で待っている算段になっている、その辺は心配無いのである。
既に何十回となく一人でヨーロッパを旅して歩いても、やはり旅は道ずれなのである。

結局一人で夜遅くローマに到着したが...
ところがである、私が出発する2日前になってドイツから今回はドイツからは技術者は出さないと言ってきたのである。
理由は、2人も技術者が行く必要は無い、経費削減である。"サギ氏、守銭奴!" 私は叫んだけれど後の祭りである。
結局どこに行っても頼れるものは自分だけだから、と私は少しやけくそ気味に出発したのである。

ミラノまでのフライトは順調であった、ミラノへは3−4回行ったことがあり、広くきれいな空港で、 免税店がたくさんあり、特にファッション関係の免税店が充実していた。
ローマ行きの飛行機は約1時間ぐらい遅れて出発した、夜遅い為か、はたまたミラノからローマへは、 列車で行く人の方が多いためか飛行機はかなり空いていた。
ローマに着いたのは夜の11時ころだった気がする、もしかしたらもう少し遅かったかもしれない。
日本を発っていったい何時間経ったのだろう、私はかなりヘタっていた。
これからタクシーでホテルまで行かなくてはいけない、私は少し不安であった、というのはホテルは、 到着が夜遅くなる場合は連絡をしないと、とキャンセルされる場合がある。 特に観光地ではそういったケースが多いことを私は知っていた、しかもローマは、
ヨーロッパでも有数のホテル事情の悪いところなのである。
空港の形ばかりの通関を抜けると、夜遅いためかそこには殆ど人が居なかった、国際空港は、 どこでもそうだけれど、入り口と出口の格差が大きすぎる。
入り口は華やかでお土産屋さんがたくさんあり、人も群がっているが、出口ときたら殺風景で、 当然店舗なんかも無い、まあそう言っても、空港の出口でお土産を買う人なんか居ない訳で、 売店も何も無い所に、夜遅く到着すると寂しいのである、ローマも同じであった。

タクシー狂奏曲
空港の出口の通路のところ来ると、右手ににトランシーバーのようなものを、左手にに切符のようなものを持った 若者がタクシーと言ってその切符を上にかざして私の方に近づいて来た。
その時私はこれはちょっと怪しいなと思った、こんなシステムは聞いたことが無い、 これは何かだまそうとしているなと思ったのである。
私は機械の部品がたくさん詰まったカバンを重そうに引きずりながら、 なるべくその若者と目を合わせないようにExitと書いてある方向に歩いていったのである。
ちょっとした曲がり角を抜けるとその先に何台かタクシーが止まっていた。
私はそのうちの白っぽいタクシーに近づいて用意してあったホテルの名前と住所を書いた紙を運転手に見せた。
外国で空港からホテルまでタクシーで行こうとする場合は、ホテルの名前と住所を大きく紙に書いて、 持っていくことが重要である。
なぜ紙に書いていくかというと、名前によってはこちらがいくら言っても相手に通じない場合があるのだ。
イギリスでシャロックホームズと言うホテルに泊まったことが何度かあったが、 タクシーの運転手に何回もホテル シャロックホームズといっても通じずに閉口したことがあった。 結局「ベーカーストリート」と言ったら通じたけれど。
またドイツでは「ビルシュタット」という所に行きたかったのに100kmも離れた、 「ビルシュテート」という所に連れて行かれたこともあった。
ホテルの名前だけを覚えていくと大変なことになる場合もある。ホテルはチェーンになっている場合が多く、 同じ名前のホテルがたくさんあるのだ。
成田の空港で「東急イン」までとタクシーの運転手に言うようなものである。
パリのホテルで「ノボテル」という所に泊まったのであるが、空港で「ノボテル」といったら 予約してあるホテルと違う「ノボテル」に連れて行かれ、結局又重い荷物を持って予約がある「ノボテル」に 移動した覚えもある。
そのようなこともあって私は必ずホテルと住所を紙に書いて持って歩くのである。
話がそれたが、私がローマの運転手にホテルと住所を見せると、運転手はOKと言った。
さて次は運賃交渉である。
実は私は日本円にして3000円位しかりイタリアのリラを持っていなかったのである。
空港の銀行は既に閉まっていて、その横にドルとリラの両替機が有った。
なるほどこれはなかなかいい方法だと思って、10ドルを入れてみてもすぐに戻ってきてしまい、 イタリアのリラに両替をしないのである。
壊れていると私は思った、何回か挑戦したが結局だめであきらめたのである。
今考えると壊れていたのではなく、銀行が閉まると同時に中のお金を回収して、 機械を止めてしまっていたのではないかと思われる。
こんな治安の悪い国で現金の両替機を夜まで置いておくはずがない。
実は私はこういうこともあろうかと、会社で最近イタリアに行った人間から、 手持ちのリラを買ってあったのである。
それが大体日本円にして3000円位だった。私が運賃を聞くとローマの運転手は、 およそ日本円で2000円位のことを言った。
"高い"と私は言った、こういった国では値切ることは社交辞令である。
会社の出張で海外に行きタクシーに乗るとき私はめったに値引き交渉をしない、 面倒な値引き交渉などしなくても、領収書さえあれば会社に請求できるからである。
このときは3000円位しかないことに加え、チップの問題もあり、少し余裕を持たせたかったのである。
確かこのとき運転手は、1800位までディスカウントした覚えがある。
ようやく交渉もまとまり、タクシーに乗って空港を出発したのである。

メーターと看板を付けた白タクだった
空港から5分位走ったところで急に後ろの方でパトカーのサイレンがして、運転手が何か小さく叫んで、 急にスピードを上げはじめた。
これには参ったローマに来て初日にしかも夜中にカーチェースに巻き込まれたようである。
このままこの車が、どんどんスピードを上げてどこかにぶつかったらどうしようと思ったやさき、 タクシーの運転手は逃げるのをやめ道の横に車をとめたのである。
運転手は私の方に向いて、"Say friend"と言ったのである。
要するに友達に車に乗せてもらっているだけと言えと言っているのである。
お兄さんそりゃーいくらなんでも無理じゃないの、こちとら、こてこての日本人でっせ、しかも大きな旅行カバンを持った。
そう思ったけれど、どうせそう言ったって通じないんだからとりあえず"OK"と私は言った。
パトカーからは警官が2人出てきて私を乗っている車から降ろし、荷物を持ってパトカーに乗るように言った。
どうやら私が乗ったタクシーは白タクだったようだ。
イタリアの白タクは屋根にタクシーのマークがあり、料金メータまで有った。
おかしなことに警官は、シロタクを捕まえるでもなくそのまま行かしてしまったのだ。
私はといえばパトカーに乗せられて又もと来た道を空港まで連れて行かれたのである。
夜遅くである、しかもパトカーの警官も殆ど英語は通じなかったのである。
仕方なく私は紙を出してホテルに行きたいといった、警官は私を空港のタクシー乗り場に連れて行って、 タクシーの運転手に何か話していた。
結局私はそのタクシーで無事ホテルまで行ったのである。
ただしタクシー料金はさっきのシロタクより高くて私の持っていたリラでは足りず、 高いホテルの両替レートでドルをリラに換えて支払ったのである。
"これはいったい何なの、シロタクの方がいいじゃん"と思わず私は叫んだのである。
しかもその日のホテルはオンボロで風呂蛇口から水は出ないし、シャワーからは赤い水が、 ちょろちょろ出るだけだし、ドアの鍵は壊れていて内側から簡単な状差しのようなもので止める方式だし、 部屋は狭くて汚いし、カーテンは壊れていてうまく閉まらず外の電灯がまぶしくてよく眠れないし、 外は一晩中うるさいし、フロントの老人の耳は遠いし、朝食のウエイトレスの若い女性は無愛想だし...... 私の愚痴はとどまるところを知らない。
そう言えば、空港で タクシーて叫んでいたお兄さん、私が無視して通り過ぎるとき、 ちょっと寂しそうな顔をしていた気がする。
何で信じないのかなーといった顔を。
"信じよ、されば救われん"か。

激しい下痢が...
このときのローマは散々だった、水に当たったのか、2日目から激しい下痢に襲われて、 ローマからミラノまでの列車の中でひたすら車内のトイレにしがみついていた、 そしてあの言葉を思い出していた。
"ローマのものはローマに、シーザーの物はシーザーに。"

其の夜、ミラノの代理店に行って、なんとなく腹の調子が良くないと言ったら、其の晩はレストランで、 "しいたけ"のオリーブオイル炒めを頼んでくれた。
"しいたけ"って消化に良いのかなと思ったけれど、不思議に次の日は腹の調子は快調だった。
帰りにミラノの空港で、ブランド物のネクタイを10本位買い込んだ、旅先で何か有るとその帰りに財布の紐を緩めてしまうのは 私の悪い癖である。

よく考えてみると
これは後で気がついたことで有る。
私は消して胃腸が強い方では無いので、海外の飲食には気をつけている。
特に水に当たることが有るので、ロンドンやパリと言った大都市では絶対に水道の水は飲まない。
水は「evian」専門であり、もちろんローマでも水は飲まなかった。
にもかかわらず今まで経験したことの無い、相当激しい下痢に襲われたのはなぜか?
それは多分朝のオレンジジュースではなかろうか。
あれは濃縮ジュースを水道水で戻したものではなかったのか、後の祭りでは有るが。

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