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画像ファイル モデナで道を尋ねる
トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー騒動記
3モデナで道を聞く
4そそっかしいイギリス人
5片桐機長何を...
6ブルーカラー
7横メシ1
8横メシ2

ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本


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イタリアの高速道路
ローマ ドイツに駐在していた時、イタリアのミラノからモデナまでレンタカーで行ったことがあった。
通常は列車で行くのだけれど、ちょうど良い列車の接続がその時は無かった、 モデナは確かフィアットの本社があるところで、有名な場所であるが、 かなり交通の便が悪い場所である。
車の場合、ミラノからモデナには高速道路で行く、イタリアの高速道路は極めて快適で、 運転自体はそれほど難しい事は無い、道が混雑していなければ、ドイツなどとあまり変わらないのだ。
ただしイタリアでの運転は幾つかの独特なルールが有る。
先ず第一は、高速道路で他の車を追い越す時は、大きくクラクションを鳴らすのである。
街中の混雑した交差点では、混雑した交差点に可能な限り車の頭を突っ込み、 お互いにクラクションを鳴らし合う、こんなところである。

道に迷った
それはさておきモデナの近くで、高速道路を降た私は、行きたい町の方角がわからなくなった。
自慢ではないが私は、かなりの方向音痴である。
道に迷った場合は現地の人に聞くに限る、異国で道を聞くことはドイツで慣れている、 ドイツでも英語は殆ど通じないが、今まで何とかなってきた自信がある。
ちょうど町を歩いている人が居たのでその人にに聞いてみた。
私の記憶では、私の行きたい町は真中に大きな教会があった。
そこで私は"真中に大きな教会がある町はこの近くに無いか"と聞いたのである。
イタリア人は親切である、いやどこの国に行っても地方に行くと都会では考えられないほど、 人々は親切である。
しかし残念なことにイタリアでも殆ど英語は通じない "ステーション"さえ通じないのである。
ただしこちらが道を尋ねていることは相手には分かっている、教えたいのである、 その熱意がひしひしとこちらにも伝わってくる。
この人は、これから先たぶん日本人から道を聞かれるなどということは、生涯無いのであろう、 何とかして教えてやろうと彼はもがいている。
首を振ったり、伸び上がったり、口に手をあてたたり時には口笛なんかも吹く、 見ているほうは実に楽しいのである、まさにイタリア人の面目躍如と言ったところである。
ただし私には行きたい場所は一向にわからない。
そのうちに人だかりが出来る、10人くらい集まれば中には"私は英語をしゃべれます"などと言う男の人が現れる。
この人は"20年程前に1年位イギリスのNATOにいたことがある"というのだ。
その人とちょっと話してみたがかなり怪しい英語ではある。
しかしこの位はまだましなほうなのだ。
以前ドイツで秘書を募集したるら"日本語をしゃべることが出来ます"と言う人が応募してきた。
面接してみると、"こんにちは、おはよう、ありがとう、さようなら"の4つの単語だけだった。

どこの国の人も困った外国人には親切で有る
話はそれたが、この際英語が得意不得意などと贅沢は言えない、そこで私はその男の人を通訳にして、
再び"真中に大きな教会があって.."とやったわけである、通訳は、私が言ったことを、
その場にいる皆に説明したが、皆一斉に首をかしげる。わからないのである。
"おかしいな"と私は思いながらポケットからホテルの名前と電話番号を書いたメモを出して見せた。
私はホテルの住所と電話番号のメモは必ず持っているのだ。
そこに居る人たちはかわるがわるにその紙を見ながら何か言っている。
ところが私が車を道の端に寄せて、降りている隙に、メモがなくなってしまったのである。
これにはあせった、その紙が無いと私が行こうとする場所がわからない、 ホテルでお客さんと待ち合わせているのである。
電話番号とホテル名を書いた紙は私の命綱なのだ。
私はインスタント通訳の男に"メモがなくなると困ると"必死に訴えたのであるが、 その男は"ノープロブレム"(問題ない)と言うだけである。
こういう時の "ノープロブレム"は今までと違って、やけにしっかりした英語の発音だったりする。
そうこうしているうちに、向こうの方から一人の男の人が"オーイ"と言ってニコニコしながら走ってきた、 手には私の紙を持っている。
どうも皆で相談した結果、そこの場所から自分の家が一番近い人が、 私のメモを持って家からホテルに電話をかけ、 場所を聞いてくれたようなのである。
結局、私が行きたかった場所はこの町の隣町であった。
皆笑いながら"ナーンダ"というような顔をした、私も笑った。
隣町がどうして分からなかったのだろうか。
これはドイツに住んでいてだんだん分かってきたことであるが、 ヨーロッパに行けばどこの町でも町の中心にに教会がある、いや教会を中心に町が発展したのだ。
そして教会はたいてい町一番に高い建物なのである、これでは分かるはずが無い。
私たち日本人には珍しい大きな教会でも、そんなものはどこの町にでも有って、 町を代表する目印にはならないのである。
場所がわかったところで、お礼を言って私が行こうとすると皆がまだ良いではないかと引き止める。
コーヒーを飲んでゆっくりして行けというのである、日本人が珍しいのである。
多分日本の田舎で、イタリア人が車で道を聞いたのと同じであろう。
お客さんとの待ち合わせ時間までには、まだ十分に時間は有ったけれど、行って見なければ、 場所もはっきり分からないからと私が言うと、通訳の男は自分もちょうどその町に用事があるから、
ホテルまで車に乗って行って案内してくれるというのである。
多分この人は用事など無く親切で言っているのだと、私は感じたけれど好意に甘えることにした。

通訳の人のおかげで、無事目的のホテルに到着することが出来た。
通訳の人は私をホテルまで案内すると"バイバイ"と手を上げて帰って行った。
名前も聞かなかったけれど、とにかく親切な人たちであった。
そこの町がどこであったか後になって調べてもよく分からなかった。
又今となってはどこに行こうとしていたかも記憶が定かではないが、
行こうとした町が、手元の手帳には、Via Sigonio 50 Modenaとなっている。
道を聞いた町は、モデナの近くの町であることだけは確かである、旅とはそんなものかもしれない。

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