御入園 | |
|
キンダー・ガーデン
女房と子供がドイツに来てから既に1ヶ月余りが過ぎた。
ドイツでの生活の準備は順調に進んでいた。 娘も近くに日本人の友達が出来た。 ただし我々には一つだけ悩みが有った、娘の幼稚園が決まらないのである。 ドイツでは幼稚園のことを "キンダー・ガーデン"と呼ぶ、キンダーはドイツ語で子供、 ガーデンは庭である。 英語でも幼稚園のことを"キンダー・ガーデン"と呼ぶがこれはドイツから来たものである。 ドイツは幼稚園の発祥の地なのだ。 幼稚園にはカトリック系の幼稚園と、公立の幼稚園の2種類あって、内容が充実しているとのの理由 で、日本人にはカトリック系の幼稚園の方に圧倒的な人気が有った。 さらにカトリック系の幼稚園は協会の近くにあり、たいてい協会は町の真中にあったので、 交通の便も良かったのである。 私たち夫婦も先ず先にカトリック系の幼稚園に入園を申し込んだ、しかし既にたくさんの子供が入園を待っており、 しかも入園の審査があるとのことだった。 「あの夫婦は、子供の入園を速くする為に、キリスト教に入信した。」と言う話しも、尤もらしく囁かれていた。 キリスト教徒でないものは後回しにされるとの噂があったからだ。 カトリック系の幼稚園からの連絡を待って居たらいったいつになったら、入園できるかわからない。 娘の友達は皆幼稚園に入っているので、普通の日の昼間は遊んでもらえないのだ。 私は秘書のアンゲリカに相談をした、アンゲリカいわく「教会の幼稚園ではなく、公立の幼稚園に申し込んだらどうか」と。 確かにそうではあるが、公立の幼稚園には日本人は殆ど居ないのだ。 それに加えて公立の幼稚園は遠い。 「別に日本人が居なくてもドイツ人と友達になったら良いではないか」とアンゲリカはさらに言う。 しかしと私は考える、教会の幼稚園は我が家から自転車で7−8分、公立の幼稚園は20分位かかるのである。 しかもデュッセルの冬は寒い、いくら信州育ちだからといっても、20分も自転車で通うのは難しいのではないかと。 家に帰って女房に相談すると、「私は通うのは平気だから。」と簡単に言ってのけた。 駐在員の奥さん心得
駐在員の奥さんに必要なことは、
1、丈夫であること、心身ともにである。 大体において駐在員は出張が多く自分の病気以上に、奥さんに病気をされると困るのである。 女房は2年間の間一度も病気にならなかった。 2、のんきであること。 異国の地では、余り神経質なことを考えているとノイローゼになる。 衣食住、生活習慣、気候、はては犬の顔まで全て違うのだ。 現にノイローゼになって帰って行った人はたくさん居るのだ。 3、子供の病気を見逃さないこと。 情報が極端に少ない異郷の地では、子供の異変にいち早く気付いて病院に連れて行かなければ、 子供の命にかかわるのだ。 当然子供のかかる病気も日本のそれとは違うのである。 ドイツ滞在中に娘がしょうこう熱にかかったことがあった、当時日本ではしょうこう熱は隔離入院である。 今と違いその当時はインターネットなどと言う便利なものなど無く、病気の時はもっぱら日本から持っていった、 「家庭の医学」に頼っていたのである。 「娘が熱があって、イチゴ舌になっている、『家庭の医学』で調べたらしょうこう熱に間違いない」と女房が言うのである。 私はあせった、とりあえずかかりつけのドイツ人の小児科の病院に電話をかけたのである。 電話に出た受付の看護婦に「娘がしょうこう熱なった」と告げた、看護婦は「Why」と言ったどこか馬鹿にしたような口調であった。 「素人にそのようなことが判るか」と暗に言っている。 「娘は熱があって、舌がイチゴのようになっている」と私は説明した。 「ポッシブル」(可能性はある)と看護婦は答えた。 私の言うことを信用している口調ではなかった。 「とりあえず病院の正面からではなく裏口から入って来てくれ」というのである。 万が一伝染病である時、他の子供に病気うつさない配慮である。 病院に連れて行った結果、やはり娘はしょう熱であった。 ただし、しょうこう熱は隔離入院んでは無く、抗生物質でよく直るとの事で、其のまま薬をもらって家に帰えることが出来るとの事であった。 病院を出ようとした時、先ほど電話に出た看護婦が来て 「ジャパニーズ アー インクレディブル」と言った、 日本人は信じられないと言うのである、「病院に来る日本人の奥さんは、殆ど子供の正しい病名を言って来る、 ドイツではこんなことは考えられない。」と言うのである。 4、ある程度社交的であること。 言葉のわからない国に有っては、日本人どうし助け合い、情報を交換しあうのだ、 特に駐在員の奥さん同士が交換する情報は、この地で生活するためには欠かせない。 ある程度と書いたのは、社交的過ぎると又これも、亭主としては困ることが多いのである。 5、料理がうまいこと。 自分が育った国と著しく食材が異なる異郷の地では、何とか手に入る食材で、亭主や子供が 満足する料理を作らなければならない、これが駐在員の奥さん方の大きな仕事の一つである。 この5つに関しては我が女房は95点で有った。 公立の幼稚園
さて、閑話休題、話を元に戻そう、そんな訳で我々夫婦はもう一度公立の幼稚園を見に行くことになったのである、
もちろん秘書のアンゲリカを連れて。 公立の幼稚園は町のはずれに有ったが建物はきれいで明るく、保母さんも若くて教会の幼稚園よりもモダンに見えた。 教会の保母さんが着ている尼さんの衣装はどうも我々にはなじめない。 女房はこの幼稚園を一目で気に入ってしまったようであった。 ここなら入園を待っている子供が居ないので、すぐに入園出来るということであった。 結局我々は思案の末、娘をこの公立の幼稚園に入れることにしたのである。 最後に残る心配は、果たして娘がこの幼稚園に嫌がらずに通うかどうかであった。 クラス編成によっては日本人が一人もいないクラスに入る可能性も有った。 保母さんたちが全員ドイツ人であることは言うまでも無い。 初めての通園の日が来た、朝から私も会社には出勤したけれど、なんとなく落ち着かないのである。 通園の初日は幼稚園の規則で子供は半日で帰ることになっていた。 会社から帰って私は真っ先にその日、幼稚園で娘がどんな様子であったか聞いたのである。 女房が言うところによると、やはり娘は幼稚園の帰りがけに泣いたのである。 ただし 「こんな面白いところから、まだ帰りたくない!」といって。 駐在員の家族にとっては、子供も重要な協力者であり、子供たちは子供たちなりに戦っているのである。 話を聞きながら、私は窓から暗くなった外を見ていた。 いつもは暗く闇に沈んでしまう遠く町の木々も、明るいイルミネーションで飾られていた。 もうすぐ子供たちが待ちに待ったクリスマスが来るのだ。
|