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画像ファイル  食事と食材
ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本

トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー...
3モデナで道を...
4デリゲート入門
5...イギリス人
6片桐機長何を...
7ブルーカラー
8横メシ1
9横メシ2


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デュッセルドルフの焼き鳥屋
画像ファイ 日本人駐在員にとって食の問題は切実である。
幸い我がデュッセルドルフには他の国ではお目にかかれない様な立派な日本食レストランがあり、 アルトシュタットという場所には本格的な焼き鳥屋まであった。
2週間くらいヨーロッパを旅行していると、最後の方はもう頭に浮かぶのは日本食のことばかりで、 寿司が、焼き鳥が、ラーメンが頭の中を駆け巡った。
まだ女房がドイツに来る前は、出張が終わりドイツに帰ってくると、空港からその足で、デュッセルドルフ のアルトシュタットに有る焼き鳥屋「石狩」に直行したものである。
残念ながら、何年か前にデュッセルドルフに行った時、懐かしい「石狩」に行ってみたいと思ったが、 既にこの店は無いようであった。
この「石狩」は日本人夫婦が経営しており、キップの良いママさんがいて、パキパキと店を切り盛りしていた。
この夫婦には中学校2年生位の女の子がいていつも店を手伝っていた、この子はドイツの中学校に通って いたのだが、普段は正しい日本語を話すのだけれど、数の数え方や、漢字になると急に日本語が怪しくなり 我々は良くその子を、そのことでからかったものである。
駐在員にとって子供の教育は頭の痛い問題である、デュッセルドルフのような日本人学校に通える 所は全く問題が無いのだが、所によってはどうしても現地の学校に通わせるしかない場合が有る。
何年も現地の学校に通ってると、だんだん日本語がおかしくなり、最後には殆ど日本語がしゃべれなくなる ケースも有るようだ。
その為親は、子供が学校から帰ってくると、その日に学校で有った出来事を一時間位日本語で報告させ、 日本語を忘れない訓練をすることも有ると聞いたことが有る。
駐在地が英語圏ならまだしも、北欧やオランダなどのマイナーな言語の国であったら、日本に帰った時の 子供の苦労は想像を絶する。
「石狩」に行くといつもカウンター以外の席は「予約」と言う札が立っていたが、「あれはドイツ人除けよ。」 とママさんは言っていた、ドイツ人が珍しげにこの焼き鳥屋に入ってきて、味噌汁だけを注文して何時間か 粘って帰ると言う事が何回か有ったようである。
事実私たちが行くと直ぐに其の札を取り去って我々は好きな席に座ることが出来た。
この店の「石狩鍋」は絶品で、鮭を主体にした白味噌の土手鍋であった。
鮭は北欧の方からかなり新鮮な物が届く、味噌は北海道からの直送だという。
鍋をさんざん堪能したあと、其の中にご飯を入れておじやを作ってもらう、これを食べると旅の疲れが一挙に取れて、 「ああ日本食っていいな!」という幸福感がふつふつと湧き上がってきた。
焼き鳥屋というと日本では通常酒を飲むことがメインであるが、「石狩」では殆ど酒は飲まなかった。
それは私があまり酒を飲めないということも有ったが、車で帰らなければならないという事もあり、 もっぱら食事だけをしていたのである。

デュッセルドルフの寿司屋
デュッセルドルフには美味しい寿司を食べさせるお店が何件か有った。
特に本格的な寿司を食べさせる「其角」はヨーロッパ駐在員の中では有名で、ドイツ以外の国に居る人も、 一度はデュッセルに行って「其角」で寿司を食べたいと思っている人が多いと聞いた。
ある時長期のアフリカ出張を終えて、ドイツに立ち寄った駐在員が「其角」を訪れて、寿司を食べ、 「こんなうまい寿司は生まれて初めて食べた、まるで生き返ったようだ。」といったところ、「其角」 の主人が「勘定は全て唯にするからいくらでも食べていけ。」と言ったという話が、伝説のように 話し継がれていた。
更にデュッセルドルフの日本人街には1964年にヨーロッパと日本の貿易促進という政治的な意図の 下に作られたという「日本館」があって本格的な日本料理が食べられた。
ドイツの事務所に居るときも、私は良く支配にと一緒にこの日本館に昼飯を食べに行った。
日本館にはランチメニューがあり、其の中の天ぷら定食と散らし寿司を交互に2週間ほど続けた 時もあった。
この定食の値段は18マルク(当時1800円)位であり、昼食としては結構高価であったが、 他に楽しみが少ないこの地にあっては、多少の出費はやむえなかった。

食材
日本食の食材に関してもデュッセルドルフは大変恵まれていた。
日本人向けの食材を扱う店が何件かあり、味噌、醤油、納豆から魚まで簡単に手に入って、 家庭で簡単に日本料理を作ることも出来たので有る。
主食の米に関してであるが、当時日本は米の輸出を禁じており日本米は手に入らなかったが、 カリフォルニア米が売られていた、少し細長いいわゆるインディアンライスと呼ばれるカリフォルニア米は、 寿司米に近いと言われており、我々の口によくあった。
ただしドイツ人向けの食材に関しては、たとえそれが牛肉であろうと我々の口に合うものは少なく、 ステーキにしても、ドイツのステーキは、全く油気の無い肉で、まるでダンボール紙を食べているようで有った。
その為数は少なかったが、日本人専用の牛肉が置いてあるドイツの肉屋があった。
これはドイツの農家で契約飼育しているとのことで、女房は良くこの肉を買ってきた。
この牛肉は程良く油が乗っており、焼肉で良し、しゃぶしゃぶで良し日本の牛肉と同じであった。
私が出張から帰るとその日の晩御飯は必ず焼肉かしゃぶしゃぶであった。
特に春先ホワイトアスパラガスが出回る頃は、このアスパラガスをしゃぶしゃぶ鍋に入れて置き、 しゃぶしゃぶが終わった頃、鍋から取り出すと調度良く茹で上がって驚くほど美味であった。
又しゃぶしゃぶの湯も、上に浮いたアクを除き少々の塩とブラックペッパーを加えると 牛肉とアスパラガスが調度良いだしとなり、あっさりしていながらコクの有るアスパラガス・スープとなった。
日本に帰ってきてからも、この味が恋しくなりしゃぶしゃぶの中にグリーンアスパラを入れてみたが、 なんとなく青臭く旨くなかった。

魚、ラーメン、ジャガイモ 
魚に関しては、新鮮な刺身は何時でも手に入った。
マグロは北極海で取れるとの事で、日本館でマグロの解体ショー等も行なわれた。
焼き魚はアパートから煙が出て匂いが広がると、 近所からクレームが来る為に食べることが出来なかった。
ただし焼き魚が無性に食べたくなったと言う記憶は無い。
どうしても焼き魚を食べたい場合は、日本館に行けば焼き魚定食が食べられた。
さて日本人の好きなラーメンであるが、残念なことにデュッセルドルフでは、美味しいラーメンを 食べたいと言う欲求が満たされることは無かった。

ドイツはジャガイモが有名であり、日本に居る時は、ドイツに行けば美味しいジャガイモが食べれれると 期待していたのであるが、実際にドイツのジャガイモを食べてみると、それはジャガイモとサツマイモを 掛け合わせたような代物で、ジャガイモ独特のホクホク感は無く、少しべとべとした感じであった。
後に聞いた話で有るが、ドイツ人が日本に来て、あのホクホクのジャガイモを食べたところ、こんなジャガイモは とても食べられた物ではないと言ったという事である。
要するに日本人とドイツ人では趣向が違うのである。

ハムやソーセージといったものはかなりの数の種類があり、見た目も美味しそうであり、色々の種類を 試したが、サラミのようなハムを除いて我々の口に合うものは無かった。
お菓子やケーキなども同じであったが、唯一チョコレートだけはどのチョコレートを食べても美味しかった 様な気がする。
ドイツのスーパーマーケットはとても品揃えは多かったのであるが、我々の口に合うものは 少なく、野菜以外の食材は殆ど日本食の店で購入した。

ラッキョウを見つけた? 
ある時同僚のTさんとアルカウフと言う大きなスーパーマーケットに買い物に行った。
我々はピクルスの瓶詰めなどを置いて有る棚に、どう見てもラッキョウと思われる瓶詰めを発見した。
Tさんはそれを取ってしげしげと見たが、「やっぱり有るんだなー」と言いそれをうれしそうにそれを買た。
鼻歌交じりでアパートに帰り、ラッキョウだラッキョウだと大騒ぎしながら蓋を開けて、一粒それを食べた。
もちろんそれはラッキョウではなく、小さなたまねぎの瓶詰めであった。
Tさんは何も言わずに瓶の蓋を閉めてそのまま捨ててしまった。
私は全くそれを食べなかったのでいったいそれがどんな味で有ったかはいまだにわからない。
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