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画像ファイル 不思議の国インド
トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー騒動記
3モデナで道を聞く
4そそっかしいイギリス人
5片桐機長何を...
6ブルーカラー
7横メシ1
8横メシ2

ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本


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海外出張の荷物
タジマハール 何年か前に仕事でインドに行った時のことである。
私は海外に出張する際必ず、いかに持って行く荷物を少なくするかに腐心する。
一週間程度の海外旅行であれば、機内持込が出来る手荷物一つと決めている。
飛行機の場合、機内持ち込みの荷物には大きさと重さに制限が有る。
国際線の場合は、大抵
3辺の和--115cm以内、サイズ-- 115cm以内、 横55p×縦40cm×幅25cm以内、合計重量 10kg以内 となっている場合が多い。
この大きさなら調度飛行機の座席の下に納まるのである。
ドイツでパイロッテン・バッグというのを買った、これは皮の四角い鞄で調度上のサイズになっている。
この鞄はドイツ製だけあってかなり丈夫に出来ており、空港や駅でちょっと待っている時の椅子代わりにも使え、 便利なもので有り、かなり長い間愛用したが、鞄そのものが重いことと、厚みが結構有るので、少々持ちにくい こともあり最近では布製のスポーツバッグを使っている。
ここまでは飛行機の機内持ち込み用の手荷物の話であるが、手荷物には其の外、「受託手荷物」と言われる、 チェックイン時に預ける荷物が有り、これにも厳格な大きさと重さの規定が有る。

航空機手荷物の重量制限
航空機手荷物の重量制限に関しては、国際線の場合ファーストクラスやエコノミークラスによって、 無料で預けられる重量が異なっており、ファーストクラスの場合40Kg、エコノミークラスの場合20Kg以内となっている。
重量の測定は大体において空港のチェックインカウンターの横の荷物を預ける所が、重量計になっていて、 荷物を持ち上げて預けると同時に重さが計られるシステムとなっている。
荷物の重量がオーバーしたときは、規定によりかなり高額な超過手荷物料金を支払うことになる。
以前中国に出張した折に、かなり大量の部品を持ち込んだことが有った、むろんエコノミークラスである。
たぶん重量は40kg近くあり、羽田空港に行くモノレールの階段を登るのに難儀をしたことを覚えている。
この時は重量オーバーはあらかじめわかっていたので、追加料金を支払う覚悟をしていた。
さていざチェックイン・カウンターで荷物を秤に載せて、係員の顔をチラッと見ると、やはり荷物の重量を 見ている。
チェックインカウンターでは荷物を預かると、其の荷物に行き先別で番号が振って有るタグを縛り付けて、 タグの半分をちぎって預けた客に渡すのである。
この半券は到着した空港での荷物の受け渡し証明書になるので大切に保管する必要が有る。
私は、「重量オーバーですかね、ちょっと私は軽いんで一緒に量ってみてくれませんか。」と量りに足を乗せる ポーズをした。
私の前の人はかなり太っているいて、私の体重と比べると優に2倍はありそうであったので冗談を言ったのだ。
女性の係員はふっと少し笑って、そのまま荷物に行き先のタグを貼り付け、半券をくれた。
半券さえ貰ってしまえば、後は荷物が重かろうが、軽かろうが関係は無い、荷物を運んでもらう契約が成立したのだ。

荷物のパッキング
さて話を手荷物に戻す。
荷物を小さくまとめる為には少々コツが有る、先ず下着などはたたまずに、一つずつぐるぐると巻く。
巻くことにより余分な空気を追い出して小さくすることが出来るのだ。
そしてこのぐるぐる巻きの下着をかばんの下の方からきっちり、ぎゅうぎゅうに詰めていく。
私の場合は殆ど持たないが、もし代えのズボンなどを持つのであればこれもぐるぐる巻きにする。
ぐるぐる巻きにするとズボンなども皺にならない、極めて効率の良い収納方法なのである。
これが済むと今度は、洗面用具などの小物である、これをビニール袋に入れて下着の上に置く。
更に海外旅行に必須の薬などもに置くことになる。
薬と言えば、海外旅行の必須の薬は、先ず下痢止めである、次に解熱剤、痛み止め、 風邪薬と続く、最後にバンドエイドだこれは重要である。
バンドエイドはなるべく大きい物を持っていく、切り傷、擦り傷は当然のことなが、靴擦れに、 果ては破れたワイシャツのパッチに使う。
靴擦れの場合は、足の方だけではなく、靴の方にも貼ると効果的である。
どんな短い旅行で今まで上げた薬は必ず持っていく、ただし殆ど使ったことは無い。
薬を持っていると言う安心感が重要なのだ、つまりこれらは心の薬なのである。
海外のホテルの慣れないベット上で輾転反側、なかなか眠れないことがある、このような時は、 風邪薬を服用する、風邪薬は絶好の睡眠薬になる。
かばんの最後に入れる物は、ワイシャツなどの皺になる物である、これは押し付ける訳にはいかない、 かばんの上にそっと置くことにする、これで出来上がりである。
私が持っていく荷物を小さくしたい一番の理由は、早く歩きたいからである。
特に飛行機から降りて、イミグレーション(パスポート コントロール)を通り、通関をするまでの時間をなるべく 短くしたいのである。

昔のイギリス ヒースロー空港はひどかった
今はどうなっているか判らないが、昔のイギリスの国際空港ヒースローはひどかった、 確かイミグレーションの窓口が自国民、EC加盟国、その他の国の3つに分かれていて、 自国民、EC加盟国の窓口は空いていてすいすい通って行くのに、その他の窓口は長蛇の列、 一時間位かかることはあたりまえだったのだ。
当時イギリスは医療費が全てただであった、その為、イギリスが旧宗主国で有るアフリカ系の人たちが、 医療行為を受ける目的でイギリスへと流れ込み、その入国規制を間接、直接に行っていたからである。
だいたい当時は日本からイギリスに行くには、アンカレッジ経由でロンドンまで行くか、 BAのモスクワ経由でロンドンまで行くか、地獄の南回りでロンドンまで行くかの3通りしかなかった。
一番早いモスクワ経由便ても17時間位かかったのである。
当然ロンドンにつくころには、飛行機の乗客はへろへろ、成田を発って30時間以上かかる南回りときたら、 飛行機から降りたら船酔いのようになって、真っ直ぐ歩けないような状態で有った。
かてて加えてそのころのヒースローはシーフロー(THIEF FLOOR 泥棒横丁)等と呼ばれ、 航空機の登場前に預けた荷物が無くなってしまうことなど日常茶飯に起こったのだ。
荷物がぐるぐる回っている、空港のバッケージ・クレームのところで、自分の荷物がなかなか出てこないのは、 悲しいもので、荷物の前に群がっていた人たちも、自分の荷物を持って三々五々と居なくなり、 自分だけが最後にぽつんと取り残されて、ぐるぐる回る空のパレットを見ているそんな経験をしたことがある。
長距離フライトでしかも途中で航空会社を変える乗り継ぎをすると、荷物が無くなってしまう可能性がぐんと高まる。
結局其の時はなぜか理由はわからないが、かなり時間が経って一つだけ私の荷物がぽつんと出てきた。
普通は預ける荷物に、旅行中の着替えなどを入れて有るため、荷物が無くなると長い間着替えが出来ない等の 不便が生じることになる。

出来れば機内持ち込み手荷物だけで
こういった経験から私は、3−4日程度の海外旅行ならば荷物を極力減らして、出来れば機内持ち込み手荷物だけにする。 通常空港では先ずパスポートコントロール(イミグレーション)で入国審査を受けて、其の後通関で手荷物の 検査を受けるのである。
飛行機を降りる順番は普通はファーストクラスからで、エコノミー専門の私などは少々待たされることになる。
飛行機を降りてパスポートコントロールまでかなりの距離が有るのが普通であるが、あわてて歩く人は殆ど居ない。
真っ先にパスポートコントロールを通過しても、其の先の荷物の受け取りで待たされるからである。
国際線でジャンボ等の大型機の場合は、荷物が出てくるまで、30分位待たされるのは普通である。
ただし預けた荷物が無く、手荷物だけの場合、当然のことでは有るが荷物が出てくるのを待たずに、 パスポートコントロールが終わると直ぐに通関に行ける為、かなりの時間の節約になる。

インドへ
このときもインド滞在は3泊4日の予定で、いつもどうりに着替えが入ったスポーツバッグひとつと、
ミネラルウオーターが入った布製のショルダーバックひとつを持って出かけたのである。
確か飛行機はタイのバンコク経由JALと記憶している。
フライトは順調で予定通り、デリーの空港には夜の8時ごろ到着した。
私はいつものように足早に飛行機から出て、ゆっくり歩く人を尻目にすたすたと先頭を歩き、 簡単なイミグレーションを通り手荷物だけであった為、ノーチェックで通関を出たのである。
デリーの空港には現地の代理店の人が迎えに出ているはずであった。
ちょうど通関を出たところで沢山の荷物を持った、数人の白いサリーの女性が歩いていた、 私は何の疑いも無くその人たちの後ろについていったのである。
やがてしばらく行くと出口らしき所が見えた、そしてそこに着いたとき私は唖然としたのである。
その入り口は両側に木で作った5Mほどの垣根がありその向こうに何百人という人が、 立ったり座ったり、寝転んだりしているのである。
始めのうちは暗かったので、あたりが良く見えなかったのであるが、目が慣れてくると、その人の多さに圧倒された。
正面の10M位離れたところには10本程の木が有り、すずめ位の大きさの鳥が何千何万といて、 喧騒たる泣き声を立てて木から木へと飛び回っていた。
入り口には門番のような人が長い棒を持って2人立っていた。
ほかの乗客は全く見当たらず、垣根の中に立っていたのは私とその門番と3人だけであった。
ちょっと先の恐ろしいほどの喧騒とは対照的に私のすぐ回りは真空地帯で静まり返っている。
しばらく私はその入り口に立って迎えの人が来るのを待っていた。
20分程そのまま立っていただろうか、迎えの人は一向に現れない、 垣根の中には迎えの人が入って来れないルールになっているのであろうか?
私の方がその人ごみの中に入っていかなくてはならないのか? 私躊躇していた。
その時2人の門番のような人が突然建物の中に入ってどこかに行ってしまったのである。
空港の入り口に立っているのは私一人になった。
多分この光景は私の側から見ても、そして柵の外側から見てもかなり異様なものだったろう。
しかし私は何かとても落ち着いていた、私は神経質で、小心者であるがこういった時は、不思議に落ち着く、 仕事で何回か修羅場をくぐって来た。
"インド人なんか当てにならない、タクシーで行こう" 急にそう思った。
世界は日本の様に几帳面に動いては居ない、「アラーの神のおぼしめしが無い」時は、 たとえ約束でも迎えに来ない時も有る。
相手は迎えに来る予定でも、飛行機が6時間も遅れた等ということも珍しい事ではなかった。
空港に着いた途端にアナウンスで呼ばれたことも有った。
呼ばれた通りに空港のインフォメーションセンターに行ってみると、「今日は迎えに行かれないので、 タクシーでこのホテルに行って下さい。」等と書いたメモを渡されたことも有る。
一度も会ったことも無い迎えの人を外国の空港で血眼で捜すことは愚の骨頂である。
ただし迎えの人が来なくて一番困るのはその日に泊まるホテルである。
たいがい費宿するホテルは現地の人にお願いして取ってもらう。
従ってその人に会えないとその日宿泊するホテルがわからないのである。
ロンドンやパリやミラノといった観光地はどこもホテルが観光客で一杯ですぐには予約できない、
特に飛行機の到着が夜遅い場合は、空港内にある旅行代理店の出先が既にしまっていて、
ホテル探しにはかなりの困難が伴う。
そんな苦い経験から私は出発前にホテルのの確認を自分ですることにしている。
ホテルの名前と予約の確認さえしてあれば、たとえ出迎えが無くても自分で、 タクシーでホテルまで行けばいいのである。
今回もちゃんと予約の確認はしてあるし、ホテルの名前もわかっていた。
慌てることは無い私は自分居言い聞かせた。

ホテルが見つからない時の奥の手
パリやロンドン、ミラノと言った大都市で、夕方になってもどうしても泊まるホテルが見つからず、 大の大人がもうその場で泣き出してしまいたい、と言った場合がある。
先ず初めに注意しなければならないことは、空港に着いた時点でホテルが決まっていない場合や、 泊まるホテルを知っている人が迎えに来ない場合は、決して空港を動いてはいけない。
空港のインフォメーションセンターや交通案内所、果ては迷子相談でも何でもいいので、 何とか今日泊まるホテルを探してくれと頼むのである。
空港に居れば必ずどうにかなる、最悪空港に泊まれば良いだけの話で有る。
間違っても町の真ん中に行けばどうにかなるだろうと言う気になってはいけない。
ホテルによってはたとえ空き部屋があっても、予約無しには止めてくれないところも有るのだ。
しかしながら旅にはトラブルが付き物である、何らかの事情で空港を離れてしまう場合も有る。
どうしても困った場合の奥の手を紹介しよう。
先ず超一流では無いが比較的大きくて部屋数が多いホテルに目をつける。
このホテルのフロントに行って、予約して有る旨を伝える。
名前などを書く紙を渡されるので名前を書いて渡す。
当然予約が無いわけであるから、フロントの人がコンピューターや予約表を見ても、名前が有るわけが無い。
フロントの人は予約が有りませんと言う、こちらはそんなはずは無いので、もう一度調べてくれと頼む。
電話での予約で名前のスペルが間違って登録されていて、コンピューターで検索出来ない場合もあるのだ。
そうこうしていると、「OK」と言って部屋の鍵をくれる場合が有る。
ホテルと言うのは必ず当日のキャンセルが有る、予約が無いと言って断られるホテルでも、 予約したはずだと言えば、この部屋を割り振ってもらえる可能性が高いのだ。
又其のホテルに空きが無い場合、フロントの人が提携している他のホテルに電話連絡を行なって、 部屋の空いているホテルを紹介してくれる場合も有る。
ホテルによってはオーバーブッキング用に部屋を1つ2つ空けて有る場合があり、その部屋を割り付けてくれる場合も有る。
この方法の成功確立はかなり高い、運良く部屋が見つかったら、フロントの人には気前良く千円位のチップははずもう。
ただしこれは禁手なのでどうしてもと言う場合だけにして頂きたいのだが。
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そこは空港の裏口だった
話をインドの空港に戻そう。
自分でタクシーでホテルまで行こうと決心した私は、回れ右をして空港の建物の中に戻り始めた。
タクシーに乗るためにはまず銀行で両替をしなくてはならないのである。
もと来た道をすたすた戻って銀行の前まで来るとなんと、乗客の人たちがたくさん歩いていくではないか、 それも私が来た方と反対の方向に。
良く見ると人々が歩いていく方向に向かって出口の矢印がある。
何の事は無い私は正式な出口と反対の多分裏口に出て、そこで待っていたのである。
正式な出口に行って見ると、そこには私の名前を大きく書いたプラカードを持ったインド人が立っていた。
私はにこやかに笑いながら、何事も無かったように迎えの人と握手をしてホテルに向かったのである。

数日後、仕事が済んで帰る時、手元に有るインド・ルピーを両替する代わりに、空港内のお土産売り場で、 紅茶でもと思いアールグレイを買おうとしたら、「インドはダージェリンが本場でそれ以外の 紅茶を買う人は居ない。」と、この物を知らない日本人は馬鹿にされた。

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