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画像ファイル 駐在員の面々
ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本

トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー...
3モデナで道を...
4デリゲート入門
5...イギリス人
6片桐機長何を...
7ブルーカラー
8横メシ1
9横メシ2


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所長のHさん
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(ノイス Hさんと事務所のオーナー ミュラー夫人の息子さんとご主人)
  所長のHさんはドイツに新しく我が社の現地法人を設立すべく、約3ヶ月位前からドイツに滞在している。
もともとHさんは半年位前に、ドイツに我が社の現地法人を作る為に入社したのだ。
Hさんは以前は中堅の商社に勤務していたが、勤め先の業績悪化を理由に我が社に転職したのである。
当時我が社は飛ぶ鳥を落とす勢いで、新しく開発する機械がことごとくヒットし、又日本全体の輸出企業の 景気が良いことも手伝って、社員の人数が飛躍的に増えていた。
アメリカのサンフランシスコには既に我が社の現地法人が有り、日本で製造される製品の殆どがアメリカで売られていたが、 アメリカでの知名度が高くなるにつれ、ヨーロッパでの製品の販売に加速が付き、ヨーロッパの各国に有る代理店を 束ねる当社の現地法人をドイツに設立して、販売の拠点にしようとしたのである。

新しいドイツの事務所はHさんが既にデュッセルドルフから車で30分位のノイスと言う町に見つけてあり、 またアンゲリカという秘書も既に雇ってあった。
Hさんと私とアンゲリカ3人で、ドイツ現地法人はスタートする予定になっており、私は技術担当であった。
Hさんの最大の悩みは奥さんである、Hさんの奥さんは大変神経質でドイツでの生活を非常に心配しており、 その為に半分ノイローゼになってしまっていた。
Hさんの奥さんとは日本で御会いしたことがあるが、大変優しそうな方であった。
優しいがゆえに2人の男の子を抱えたドイツでの生活を考えると不安で、居ても立っても居られない様子であった。
大体において駐在員は出張が多い、ご主人が出張の最中に子供や自分が病気になったら どうしようなどと考えてしまうと夜もよく眠られないとのことであった。
それならば近くに同じ会社の奥さんが居れば、何かあった時には相談すればよく、 Hさんの奥さんの心配も軽減するだろうと考えていたようである。
当時アメリカ駐在予定の私に白羽の矢が立ったのは、そんな事情もあったのかも知れない。
当初の予定は初めにHさん家族がドイツに行き、自分たちの住居と其の近くに我々家族の住居も探して、 其の上で我々家族を待っているという筋書きであった。
しかしどうしてもHさんの奥さんが行くことを渋り、いまだにドイツには来ていないのである。
当然我々家族の住居も決まっては居ない。
現地法人の支配人の仕事の一つは他の駐在員の面倒を見ることである。
特に新しい駐在員が来る場合、其の駐在員の住居や、労働ビザの取得などの手助けをすることは、 最も重要な仕事の一つであった。
しかしながら家族に問題を持つHさんはちょくちょく日本に帰る必要が有り、私の面倒どころか、 自分の仕事をこなすのが精一杯で、結局私は住居を探すことから、労働ビザ取得まで全て自分の 事は自分でやらなければならなかった。
結局Hさんは奥さんの説得を諦めて、我が社の現地法人が有る程度起動に乗った時点で、 会社を退職するつもりで居たのである。

当時はまだFAXなどと言う物も無く、国際電はとてつもなく高価だった。
其の為に現地法人の支配人にはそれ相応の権限が与えられており、現地の情勢に合わせた判断が可能であった。
しかしながら私の場合は技術的な問題対策の権限はあるが、備品の購入等の権限は全く無く、 支配人が居ない場合一々日本の承認を得る必要が有った。
承認申請は国際郵便で行なうがこれは往復で2週間程かかったのだ。
つまり私はとんでもないハンディを負いながら、この国での生活を始めなければならなかったのである。

ベルギー駐在のTさん
  一方現在ベルギー ブラッセルの駐在員であるTさんはドイツに現地法人を設立した暁には ベルギーの駐在員事務所は閉めて、家族ととも日本に帰る予定になっている。
今までヨーロッパは各国にそれぞれの代理店があり日本から商品をそれらの代理店に送り、 その代理店が各々の国の中で販売していたのである。
Tさんは主に技術的なトラブルが発生したときその国の技術者へのフォローと日本への報告をしていた。
ドイツに現地法人を設立した理由は、ヨーロッパ向けの機械を一旦ドイツに送り、 そこで受け入れ検査などを行い他のヨーロッパの国に発送することと、 複雑化する機械に対してヨーロッパの各代理店の技術者の再教育を行い クレームの発生を抑えることが目的であった。
実はTさんはベルギーの生活を家族ともども、エンジョイしており帰国ははなはだ不本意なのだ。
2年位前に、我が社はスタジオ向けの新製品を開発したが、これがどうした訳かヨーロッパに 爆発的売れた。
私は幸か不幸かこの新製品の開発に参加していたのである。
当時は調度マイクロコンピューターなるものが機械に組み込まれ始め、それまでとは全く違った機械が出始めていた。
これらの機械は今までの知識を持った古い技術者では、トラブルが起こっても対処が出来ず、 代理店の技術者の教育の要請が、ヨーロッパの代理店や顧客で有る各国の放送局から次々と来ていたのだ。
しかもこれに加えて、私が赴任して1週間も経たないうちに、日本の本社から、ヨーロッパの代理店に対して、 かねてから約束の日本から新しいエンジニアがドイツに駐在を開始し、 機械のトラブルやクレームに対処すると言う通知が出されたのである。
私のオフィスの電話は朝から鳴りっぱなしで、其の殆どが代理店の出張要請であった。
さてTさんであるが、Tさんはベルギーに家族を残したままドイツに出張に来ているのである。
ほぼ1ヶ月の間にTさんと各代理店を回って引継ぎをしなければならない。
Tさんも既に帰国の準備をしているので有る。
代理店は北はフィンランドから南はスペインまで、12カ国にあるのだ。
しかも其の間に緊急の出張要請が来るのだ。
まず当面の問題は、現在滞在のホテルから出て住む場所を探さなければならない、
会社の規定では2週間まではホテル住まいをしてもいいが、そのあとはホテル代は出してくれない。
これらの規則は全てアメリカの場合を想定してあった、アメリカには10年近く前から当社の現地法人が設立してあったのだ。
給料には10万円前後の住宅費が入っているが、一ヶ月間それでホテル代をまかなうことは不可能であった。
したがって我々は必然的にアパートなどを探さなければならなくなった。
Tさんはベルギーのブラッセルのことは非常に詳しいいけれど、ことデュッセルドルフのことになるとほとんど何も判らない。
所長のHさんも2ヶ月位前に着たばかりで、ほとんどドイツのことは知らない、しかも自分の家族のトラブルでほとんどドイツに居ないのだ。
とりあえず私たちはTさんのアイデアでデュッセルドルフの市内に1ヶ月単位で部屋を貸してくれるペンションと呼ばれる、 アパートを見つけそこを仮の住みかとして、そこからヨーロッパ各国に出張に出かけたのである。

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