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画像ファイル ドイツ人秘書
ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本

トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー...
3モデナで道を...
4デリゲート入門
5...イギリス人
6片桐機長何を...
7ブルーカラー
8横メシ1
9横メシ2


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秘書 アンゲリカ
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"You can get this kind of stamps in the postoffice. なー"と言う。
英語の部分はどうでもいいのだが、最後の "なー"と上がるところがこの地方の方言である。
もちろんドイツ語の方言であるけれど、自然と英語にも入ってくる。
特にアンゲリカはこの方言を使う、時には "ねー"とも言う。
当然我々にもこれがうつってしまい、英語を話すとき "なー" や "ねー"を乱発することになる。
アンゲリカは我がドイツ現地法人の初代の秘書である。
アンゲリカとはドイツ語で天使(エンジェル)の意味だそうである、少し太めのエンジェルである。
年齢は24歳ぐらい、顔はロシアにマトリョーシカと言う人形があるがそれに良く似ている。
そうあの素朴な木の人形で、胴の中に幾つも小さいのが入れ子になっているやつである。
ドイツに駐在所を持つ日本の会社にとって、ドイツ人の秘書は非常に重要な構成員の一人である。
大体の日本人はドイツ語の読み書きが殆ど出来ない。
ビジネスは英語で行われるが、どうしてもドイツ語が必要な場合がありそんなときは秘書が通訳するのだ。
もちろん役所や契約で必要な書類は全て秘書が作ることになる。
これに加えて日本人の会社に勤務する秘書には重要な役割があるのだ。
それは日本人の生活全般のアドバイザーである。
たとえば日本人が車を購入したいと思ったとしよう。
その場合どこに行ってどのような手続きをし、車の代金をどこに支払うか全くわからない。
こんな場合は、全て秘書に聞くことになる。
時にはドイツ人の習慣や、政治の体制、そしてドイツ人の物事の考え方まで秘書から教わることになる。
特に駐在員に家族が居る場合は幼稚園や学校の入学の手続きはもちろんのこと、はては子供が病気になったときの相談まで、 すべて秘書に相談するのだ。
このように何でもやる秘書のことを"フライデー"と呼ぶそうである。
あのロビンソンクルーソーに出てくる少年のフライデーである。
フライデーはロビンソクルーソーの言いつけに対しては、絶対に逆らわない。
しかもロビンソンの孤島からの脱出を助けたのである。
フライデー秘書を欧米で見つけることは極めて難しいのである。
一般的にドイツに限らず欧米では自分の仕事の範囲がかなり明確に決まっている。
入社時に何をするかを契約し、それを超えた仕事は絶対と言っていいほどしないのである。
つまり優秀な秘書になればなる程、秘書業務しかしないのである。

                        画像ファイル            2番目の秘書はフローマと言った。
英語がぺらぺらの24〜25才く位の
金髪の美人であり、典型的なドイツ
の若い女性であった。
彼女もかなり優秀であった。

私がイギリスのスタジオで
デビッド・ボーイに
会ったと言ったら、
「ボーイ!」と言って絶句し、
失神しそうな顔をした。

事務所のオーナー ミュラーさん
所長のHさんは会社のことや自分のことを貸事務所のオーナーであるミューラーさんに相談する。
ミューラーさんは65歳くらいの痩身ではっきり物事を言う典型的なドイツ女性であった。
ミューラーさんはHさんが事務所を決めるにあたって色々相談に乗ってもらっているうちに、 会社の顧問のようになっていたのである、無論無給で。
ミューラーさんは言う、"主人は幸運だ、公務員をやっていたので退職した現在も恩給で楽に暮らしてゆける、 それに引き換え私は一生懸命に働かなくてはならない"と。
ドイツでは何年夫婦で一緒に暮らしていても、日本では考えられないことであるが、生活費は夫婦で折半である。
我々の事務所の建物もミューラー婦人の物なのだ。
Hさんはドイツの習慣やその他もろもろをミューラーさんから教わっていた。
ミューラーさんもHさんをいたく気にいり、自分の子供のようにかわいがっていた。
"アンゲリカは惜しい"とミューラーさんは言う。
"家が貧乏でなかったら、有名大学に入っていい会社に就職出来たのに"と。
Hさんは秘書を選択するにあたりミューラーさんに相談したのである。
アンゲリカは秘書の専門学校を出てから2−3年どこかの会社で働いていたが、そこをやめて我が社に来たのである。
彼女の高校の成績を見たときミュラーさんはびっくりしたようである。
いわゆる成績表は体育を除いてオール5ということであった。
こんな優秀な子はめったに居ないとミューラーさんは言うのである。
めでたくミューラーさんのおめがねにかなったアンゲリカは4−5人の候補の中から選ばれて我が社の秘書になったのである。

ドイツの女性の優秀さに驚く
そして我々はこの若干24歳のドイツ人女性に秘書業務はもちろんのこと、よろず家族の問題まで相談することになる。
考えてみてほしい、日本人の24歳の女性に会社の経理事務や機械の輸入手続きはむろん、外国人の2家族が押し寄せてきて、 アパート探しや不動産屋との折衝、ビザ取得に必要な役所の手続、幼稚園入園の手続などもろもろ、 はては子供の病気の相談までしたらいったいどうなるのかと。
アンゲリカはこれらのことをいやな顔をせずに当然のことのように淡々とやってのけたのである。
しかも英語は学校で習っただけでこれだけ話せるのは驚きだとイギリス人が絶賛するくらいなのだ。
アンゲリカは専門学校の秘書課と言う所を卒業していた。
秘書課で最初に習うのはタイプライターだとミューラーさんは言う、正確にしかも速く打つことを習うのだ。
アンゲリカはものすごい速さでタイプライターを叩いた。
当時はまだファクシミリなどと言うものは無く、電話機にタイプライターが付いた様な、テレックスと言うものを使っていた。
このテレックスは例えばこちら側のタイプライターでAと打てば向こうのタイプライターでもAと打たれる構造になっている。
通常は流したい文章をあらかじめ紙テープに記憶させておいて其の紙テープから文章を流すのである。
ただし慣れた者は対話も可能で、交互にタイプライターを叩いて会話する。
タイプライターの横にスイッチがあってこれを押すと相手側でブザーがなる仕組みになっている。
こちらの文章を送り終わるとこのスイッチを押して相手の返信を促すのである。
ある時アンゲリカにイギリスのロンドンに有るシャロックホームズと言うホテルを予約してほしいと依頼した。
アンゲリカはミシュランのホテルガイドからシャロックホームズのテレックスの番号を見つけて、テレックスで直接予約の 問い合わせを始めた。
まず彼女はこちらの住所や宿泊予定者の名前、滞在日等をタイプし、相手の返答を求めてブザーを押した。
やがて相手から少し待ってくれとの返事がポツリポツリと入る、予約状況を確認しているのだ。
少し待つと予約はOKであるとの返事がこれもまた、ポツリポツリと入る。
今度はアンゲリカがホテルの詳細な場所を問い合わせる。
もちろんホテル・シャロックホームズはベーカー・ストリートに有る。
アンゲリカもこのことは承知であるが、ホテルによってはチェーン店になっていて、幾つかの場所に有ることもまれではないのだ。
やがて相手から場所の情報がポツリポツリと入る、とどうしたことか相手がベーカー・ストリートのスペルを間違ったのだ。
アンゲリカはそれを見ると、又すごい速さで正しいスペルでベーカー・ストリートではないかと聞いているのである。
もちろんこれはすべて英語で行なわれた。
ドイツ人の優秀さは世界に冠たるものがあるが、特にドイツ人女性の優秀さは郡を抜いているのである。
こんなこともあった、我々の会社の地下に大きな倉庫があり、我々はそこを物置にしていた。
しかし3ヶ月くらいするとその物置は日本から送られてきた機械の部品や、その梱包を解いた後のパッキングやダンボールで 一杯になってしまった。
そしてそれが日増しに増えていき足の踏み場も無くなってしまったのだ。
もうこうなっては我々の手には負えない、我々はそれらを見てただため息をつくだけだったのである。
ミューラーさんはそれを見かねて、一人の小柄なドイツ人のおばさんを連れて来たのだ。
我々は思った、このおばさんが全てを片つけるにはかなりの時間が掛かる、しかも今にきっと我々に助けを求めると。
それから我々はそのおばさんのことを殆ど忘れていたのである。
と言うのもこのおばさんは地下の倉庫にはいったきり殆ど上がって来なかったのである。
二日目の夕方おばさんが我々の所に来て地下の倉庫を見てくれというのである、そして地下に下りた時我々は目を見張った。
あたり一面散らかっていたダンボールはきれいに積み重ねられ、中には小さなダンボールがきちんと入っていた。
また足の踏み場の無いほど床に広がっていたパッキング類はきちんと種分けされて、これも大きなダンボール箱に収まっていたのだ。
掃除や整頓をさせたらドイツ人の横に出る者はいないのである。

話をアンゲリカに戻そう、われわれがドイツに来て初めの3ヶ月はまさに毎日がトラブルの連続であった。
もしアメリカ人かイギリス人が東京に来て3ヶ月の間で事務所を探し、会社を設立し、更に自分の家族の住居を定め、 引越しをするとしたらどれだけ大変であろうか? そしてどれだけ優秀なスタッフが必要であろうか?
この一見素朴な目立たない24歳の秘書は我々の期待に応えたのである。
そしてそこにはドイツ人女性の面目躍如たるものがあった。

別れ
会社は順調に立ち上がり、売上も増えてきた、私の仕事はますます忙しくなってきた。
私と言えば、毎日毎日ドイツ以外の国への出張が続いたのである。
そんな時所長のHさんが会社を去った、家族がドイツに来れない責任を取ったのだ。
Hさんが会社を去った3ヶ月後にアンゲリカも会社やめたのである。
NATOのイギリス兵と結婚してイギリスに住むためである。
アンゲリカの出社最後の日、我々は小さなプレゼントを彼女に渡した。
プレゼントを受け取る時、普段は無口で殆ど表情を変えない彼女が少し微笑んで、そして寂しそうな顔をしたのである。
私がドイツに来て既に5ヶ月が経とうとしていた。
まだ戦いは始まったばかりなのだ。

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