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画像ファイル 女房と子供が来た
ドイツ駐在員始末記
1いざドイツへ
2デュッセルドルフ
3駐在員の面々
4アパートを探せ
5女房と子供が来た
6ドイツ人の奥さん
7御入園
8ドイツ人秘書
9アパート事情
10虱騒動
11アウトバーンと車
12ドイツ語
13バカンス
14自転車騒動
15買い物
16食事と食材
17鍵が無い!
18娯楽と本

トラベルはトラブル
1不思議の国インド
2ローマ タクシー...
3モデナで道を...
4デリゲート入門
5...イギリス人
6片桐機長何を...
7ブルーカラー
8横メシ1
9横メシ2


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到着
  ついに女房と子供が来たのである、私がドイツに来て2ヶ月位してからである。
私が赴任したときはKAL(大韓航空)の南回りの便で日本を出てから40時間近くかかる殺人フライトであったが、 女房と子供はフランクフルト経由のJALの便で"家族パック"とかいうサービスセットで、 なんと乗り換えの時にスチュワーデスが乗り換えのゲートまで連れて行ってくれたのだ。
よくアメリカ映画なんかで小学生以下の子供が一人で飛行機に乗るときに胸に名札をつけて、 スチュワーデスに面倒を見てもらっている場面が出てくる、あれである。
もともとこれは私が本社に対して要請しておいた事であり、女房が望んだ訳では無いので有るが。
とにかく女房は3歳の娘を連れて、ニコニコしながらデュッセルドルフの空港から出てきたのである。

生活のスタート
実は私の方にはまだ問題があった、アパートの設備が完備してないのだ。
もともとドイツではアパートを借りても中身は何も無い、時には壁紙さえ張って無い事も有る。
キッチンにしても有るのは流し台だけで調理器具は無い。
当時ドイツは既にオール電化で、加熱は全て電気のヒーターを使う、もちろんこれは自分で揃えるのである。
困った事にドイツの商店は在庫と言うものを持たない、注文してから製造元に発注をするのである。
従って当然客が注文してからか品物を受け取るまでにかなりの時間がかかることになる。
特に家具や大型の電機製品は時間が掛かったのである。
我がアパートも、生活に最低必要な電灯とカーテンとベットはどうにか間に合ったものの、 キッチンの調理用のヒーターがまだ来ない、そして電話もまだ無いのである。
この電話をなかなか引いてもらえないのには閉口した、何かあっても私に電話すら出来ないので有る。
食事の用意はとりあえずTさんがベルギーから持ってきた電気コンロ1つで煮炊きをすることにして、 はなはだ頼りない私たち一家のドイツ生活が始まった。
しかしながらまだ問題があった、Tさんとのヨーロッパ代理店の引継ぎが予定通りには済んでいないのだ。
Tさんの帰国が遅れている、この分だと近いうちに1週間以上出張をしなければならなくなる。
女房と子供は全く知り合いの居ないこの地で、電話もかけられず2人だけで、4−5日は暮らす羽目になるのだ。
もし私が留守の間に慣れない地で子供が病気になったらどうしよう、何か予期しないトラブルに巻き込まれたらどうしようと、 私ははなはだ不安であった。

日本人を探せ
  色々考えた末、私はある案を思いついた。
メアーブッシュの中心に小さなスーパーマーケットがあり、そこに日本人コーナーがある、 一日そこに立っていれば必ず日本人の奥さんが来る、その人に話し掛けて友達になって色々教えてもらったらどうかと。
日本から来た3日目、私が会社に出かけた後、女房は幼い娘の手を引いて、メアーブッシュのスーパーの前で立ちんぼうをすることになった。
普通ならちょっと気後れしそうであるが、我が女房は全く平気である。
その日私はノイスの事務所に出かけたけれど一日中落ち着かなかった、"うまく女房が日本人を見つけることができるだうか?"と。
ところがである、夕方仕事から帰ると、ニコニコして女房が言うには、親切そうな日本人の奥さんが見つかったと言うのである。
女房は私に言われたとおりに、朝10時頃スーパーに行くとすぐに日本人の奥さんが来た。
そしてそこで事情を説明し、相談に乗ってもらったというのである。
しかもその方の家まで行って、お茶をご馳走になりながら色々教わって来たというのである。
さては案ずるより産むが安しと言うことであろうか。
異国にあってはやはり同胞が頼りになるのである。
この奥さんはディユッセルドルフの某銀行の支店長の奥さんであった。
とりあえずこの奥さんを先生に女房のドイツ生活は始まったのである。

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