ブルーカラー | |
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イギリス人技術者の悩み
先ほどからそのイギリス人の技術者は壁に寄りかかって斜め向こうから私の方を見ている。 ここは世界的に有名な多国籍企業S社のイギリス・スワンジー工場で、彼はこの工場の高級技術者である。 彼には1つ気にかかる事が在る、それは私がホワイトカラーなのかブルーカラーなのか早急に判断しなければならない事である。 イギリスへ
話は少し戻るが、ここに来る前日、私はスエーデンに出張していた。
スエーデン国営放送局で放送機材に関しての技術的な打ちあわせが有り、駐在先のドイツから出張していたのである。 昼の打ち合わせが無事に終わってストックホルムのホテルで夜寝ていた所を国際電話で叩き起こされた。 当時日本とヨーロッパ間の国際電話は極めて高価であった。 それに加えてヨーロッパと日本では時差がある為、国際電話で直接電話で話すことなど殆ど無かったのである。 しかし今回は違っていた。 電話の向こう側で本社のヨーロッパ担当が言うことに、我が社最大の顧客であるイギリスのS社向けに 最近納入した機械に、重要な不具合が有り、これを解決すべく早急なる日本人技術者の派遣を要請してきたとのことである。 其の処理の為に私にイギリスに行けとのことである。 当社製品には2つの大きな柱があり、一つは音楽関係の機器、もう一つは工場用の設備機械であった。 私は音楽関係の機器が担当で、工場用、産業用の機械のことは何も知らないのである。 そもそもそんな機械がイギリスに売られたことすら知らないのであった。 「担当外で有る。」と私は頑張った。 そんな事は言わなくても、本社は十分承知のはずである。 これが日本なら担当外の技術者をトラブルの有る工場に派遣するなどと言うことは全く考えられない。 それは言わば火事の現場にホースを持たせて医者を派遣するようなものである。 担当外の技術者が行っても当然機械の不具合は改善されない、「製造元の技術者が来たが機械は治らなかった」と 言う印象を相手の会社に与えるだけなのである。 私の言葉に対して担当者は言う、その機械の設計者は現在不具合の原因究明をしており、 約一週間後にイギリスに向けて出発する予定であると。 自分の設計した機械の不具合を調査する為に1週間もかかるのに、担当外の私が出向いていったい何をしろと 言うのであろうか。 更にこんなことも言った、「とりあえず君が行ってその場を取り繕い、当社がいかに製品のアフタフォローに関して アグレッシブであるかアピールしてほしい」と。 駐在員は忙しい、たとえ自分が技術担当だとしても営業活動をする事は当たり前で現地のマーケッティング、 他社の新製品のリサーチ、果ては日本から来る社員の旅行コンサルティングまでやらなければならないのである。 結局私は行く羽目になった。 S社の電話番号と担当者名はストックホルムの宿泊中のホテルにテレックスで送られて来た。 そんな訳で私は急遽ストックホルムからロンドンに赴く(おもむく)ことになったのだ。 厄介なイギリスの電話
翌日、ロンドンのヒースロー空港に降り立った私は、日本からのテレックスに有る電話番号を頼りに、
空港の公衆電話からS社の担当者に電話をかけて、詳しいS社の場所を聞こうとしたのである。
ところが空港から電話をかけても、担当者は出るのであるが、直ぐ切れてしまうのである。 その頃のイギリスの電話機は古くしかもとんでもない代物であった。 先ず相手の電話番号をダイヤルするのであるが相手が出るまで、コインをコイン入れ口に押さえつけていないといけない。 電話が繋がるまでコインは入らないのであるが、電話が繋がると同時にガシャンとコインが落ちる。 連続して通話したい場合は、次のコインを又入れ口に押さえつけていなければならないのである。 何回もの通話の切断を経て、ようやく担当者から得た情報はとんでもないものであった。 我が社ヨーロッパ担当の言っていたロンドン市内にあるはずのS社は、実際ははスワンジー(Swansea)にあり、 スワンジーはイギリスの西端に有るのだ。 道理で電話が直ぐ切れてしまう訳である。 長距離電話なので次から次にコインを入れなければならなかったのだ。 私はやむなくロンドン市内にあるパディントン駅にスワンジー行きの列車に乗るべく向かった。 スワンジへ
ロンドンでの列車の乗り方は以前ウェールズ地方のカーディフ(Cardiff)に行ったことがあり知っていたのだ。
当時イギリスの列車はジーゼルであったが、時速100Km以上のスピードで走り、かなり快適であった。 列車の窓から見えるウェールズ地方の田園風景はすばらしく自然と人々の生活が見事に調和していた。 私も今まで色々なところを旅したが、ここウェールズの田園風景が一番すばらしいと感じたのである。 ロンドンからスワンジーまでは3時間位の乗車である。 日本語を話すイギリス人
スワンジーのS社に着いても一騒動あった、出迎えに来たイギリス人の言うことが全く判らないのである。
大変なところに来てしまったと私は思った。 以前カーディフに行った時にウエールズ地方にはウエールズ語というのがあって、これは英語とは全く違う言語で有ることを知った。 ウェールズ人同士の会話が全く我々に判らなかったのである。 この時も、ウェールズ語を話していると私は思った。 しかしながら良く聞いて見ると何とそれは日本語ではないか、しかも正統な日本語である。 人の頭の中には言語のスイッチが有る、英語のスイッチ、ドイツ語のスイッチ、英語のスイッチを入れないと英語を理解できない、 英語とドイツごのスイッチを同時に入れることも出来るが、たとえ日本人でも日本語のスイッチを入れ忘れると、 日本語が理解できないのである。 ある時ドイツのベルリンでこんなことが有った。 私と同僚は2人でベルリンの裏通りに有る日本レストランに行こうとしていた。 その途中でどう見ても日本人の新婚のカップルが我々に道を尋ねた。 どうもこの2人は道に迷ってしまいホテルまでの道がわからず、かなりあせっていた様子であった。 どう見ても日本人が、日本人独特の英語(ジャパングルッシュ)を丸出しにして、道を尋ねている。 私は日本語で答えるのであるが、こちらの言うことが一向に通じない。 再度英語で質問する男性、日本語で答える私。 そんなことをしていると、突然女性の方が男性の肩をぽんと叩いて、「やだ!あなた、この人たち 日本人じゃないの。」と言ったのである。 この人たちも日本語のスイッチを入れ忘れた口であった。 こんなことは結構良く有ることで、ドイツのルフトハンザに乗って、うとうとしている時に日本人の スチュワーデスに話しかけられ、下手なドイツ語で一生懸命受け答えをして、「お疲れでね。」 と皮肉を言われたことが有った。 当然向こうは日本語で話しかけていたのである。 まさか日本ルートではないルフトハンザに日本人のスチュワーデスが乗っているとは。 こんなことも有る。 ドイツの空港のインフォメーション・カウンターで発着ゲートを訪ねた、帰ってきた返事が「ナイン」である。 ドイツ語の「ナイン」はNoである。 こちらが発着ゲートを訪ねているのにNoとは何事だと怒りが込み上げたが、よく考えたら「9」番の 「ナイン」であった。 閑話休題。 どう見ても生粋のイギリス人が、しかもイギリスの田舎スワンジーで正しい日本語を話している。 そのことに気づくまでにかなりの時間がかかったのである。 結局その人は通訳であり、東大に留学していたとのことで日本語はぺらぺらであった、さすがに巨大企業S社である。 ヒースロー空港からの私の電話があまりにも酷く、日本から英語も話せないとんでもない日本人が 来ると思ったS社の担当が通訳を準備したのである。 この通訳というもの結構厄介なもので、普通の会話は100%正しい日本語を話すのだけれど、 技術的な専門用語となるとからきし駄目で、結局通訳無しで話をする羽目になる場合が多い。 話を最初に戻す。 めでたくブルーカラーと認定
先ほどから私を見ているイギリス人は、我が社に技術者派遣を要請してきたS社の幹部の部下の
技術者であり中間管理職で有ろう、彼が私の面倒を見ることを命じられたのだ。 イギリスの労働者には2つの階級が有る、ホワイトカラーとブルーカーで有る。 特に工場ではこの違いがはっきりしており、ホワイトカラーは白い作業着を、ブルーカラーは青い作業着を着ている。 作業着といっても日本のジャンバーの様な作業着とは少し違っており、いわゆる日本で言う医者が着る白衣に近いもので有る。 この階級制度徹底していて、ブルーカラーとホワイトカラーでは着替えの為のロッカーから果ては、昼食を取る 食堂まで違うのである。 もちろん私の私のアテンドを命じられたこのS社の社員はホワイトカラーである。 ホワイトカラーとブルーカラーが厳密にどの様に区別されるかは、私にはわからないが、技術者に限って言うと、 大雑把に言って、大学を卒業した技術者はホワイトカラー、その他はブルーカラーとなる。 機械が故障してそれを修理したり、メインテナンスしたりするのはブルーカラーの仕事で有る。 機械の不具合に関して原因を分析し再設計やトラブル対策を立てるのはホワイトカラーの役目である。 さてこの技術者は十分私を観察した上でブルーの作業着を渡した。 私も何回かイギリスの企業を訪問しているが、ブルーカラーの待遇を受けた経験は無かった。 イギリスの国営放送局BBCにも我が社の機械が納入されており、BBCの技術者を集めて、 機械のセミナーを開いたことも有る。 そんな時私はその業界では名だたる技術者に技術的なことを教えることもあったのだ。 当時我が社の機械は最先端を行っていたのである。 さて晴れてブルーカラーと認定された私は、その工場の班長とおぼしき人に面倒を見てもらうことになる。 この人、気さくな良い人であった、ブルーカラーの食堂も私には居心地の良いもので、初対面の私に 気軽に声をかけてくれる人もいた。 肝心な機械のトラブル対策であるが、不具合の症状を聞く限りでは、機械をコントロールしている ソフトウェアに不具合が有ることは間違いなかった。 幸いS社は大会社であり、機械のソフトウエアー修正に必要なツールは全てそろっていた為、通常は客先で プログラムの修正までは行わないが、この機械のプログラムの修正を試みることにした。 私にとって、この様な工場で使われる産業用の機械のトラブルの処置を行うのは初めての経験であったが、 音楽関係の複雑な機械に比べると図体が大きい割りに簡単であり、不具合箇所は直ぐに見つかった。 後は何百台と有る同じ機械に修正したプログラムをインストールするだけであったが、これはこの会社の 技術者が手分けして行い、その結果滞りがちであったこの会社の生産ラインは、生まれ変わった様に 動き始めた。 全ての作業が終わった後、この班長は私を伴って、今回の作業の結果報告をすべく、先ほどの技術者の所に赴いた。 彼の前で私は修正した機械のプログラムリストを出しながら、その機械のプログラムのどの部分に 不具合が有り、それをどの様に修正したか、微に入り細に渡って説明した、多分彼には理解できないであろうと 思いながら。 その後2〜3回私はこの会社を訪問したのであるが、その後にはブルーの作業着が渡されることは無かった。 私にとってはブルーカーラー、ホワイトカラーどちらでも良かったが、人を中身ではなく外見や経歴、職業で区別する この国のシステムがどうしても好きになれず、この事件は私のイギリス人嫌いを更に加速させることになった。 ただし最初に私の面倒を見てくれた班長は良い人で、私がこの工場を訪れる度に私のところに来て親しげに話しかけてくれた。 ロンドンとは違い、ウエールズ地方には良い人が多い、この地方は風光明媚とも相まって私の最も好きな場所の一つである。 |